女御[語句情報] » 女御

「女御〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

女御の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
三つの宝」より 著者:芥川竜之介
国の王様は、王女をやるとおっしゃったのだそうだ。 第二の農夫 御可哀そうなのは王女御一人だな。 第一の農夫 誰か王女をお助け申すものはないだろうか? 主人 いや....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
皺――すべて陰深たる悪人の相で、恋の重荷を負いながらその重量に耐えかねて、死んで女御に祟ったという、山科荘園の幽霊に、象り作った仮面である。 洞窟の中は寒かっ....
源氏物語」より 著者:紫式部
紫のかがやく花と日の光思ひあはざる ことわりもなし (晶子) どの天皇様の御代《みよ》であったか、女御《にょご》とか更衣《こうい》とかいわれる後宮《こうきゅう》がおおぜいいた中に....
源氏物語」より 著者:紫式部
御所でなくて陪観のできないことを残念がっていた。帝《みかど》も藤壺《ふじつぼ》の女御《にょご》にお見せになることのできないことを遺憾に思召《おぼしめ》して、当日....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
の命により、いつでも御名代になれますものでございますから、というので、「吾」は皇女御自身をさす。御製歌といい御答歌といい、まことに緊張した境界で、恋愛歌などとは....
『新訳源氏物語』初版の序」より 著者:上田敏
、文脈に至っては、純然たる日本の女言葉である。たとえば冒頭の「いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに」云々の語法は、今もなお上品な物言の婦人に用....
錦木」より 著者:宮本百合子
も云ったら女君の心は動くだろうと思っての事。 「御両親さえおいでになったら今頃は女御でいらっしゃったかも知れないのに御定命とは云えあんまり何でした」と一人の女が....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
あるのです。仕えていた中宮が権門の関係におされて、まことにおちめになり、藤原氏の女御が高くおさまっている。中宮は住居もひどいところに居られるが、互には愛していて....
醜い家鴨の子」より 著者:アンデルセンハンス・クリスチャン
屋には、一人の女と、一|匹の牡猫と、一|羽の牝鶏とが住んでいるのでした。猫はこの女御主人から、 「忰や。」 と、呼ばれ、大の御ひいき者でした。それは背中をぐいと....
人生における離合について」より 著者:倉田百三
、入水して殉死された有名な事蹟がのっている。また花山法皇は御年十八歳のとき最愛の女御|弘徽殿の死にあわれ、青春失恋の深き傷みより翌年出家せられ、花山寺にて終生堅....
柳原燁子(白蓮)」より 著者:長谷川時雨
たしかに、わたしは『踏絵』のうたと序文によっぱらいすぎてはいたが、昔ならば、女御《にょご》、后《きさき》がねとよばれるきわの女性が、つくし人《びと》にさらわ....
反省の文学源氏物語」より 著者:折口信夫
源氏物語は、一口に言えば、光源氏を主人公として書かれた物語である。此光る女御を、「かゞやく日の宮」と書いている。人間の容貌をほめる為に、ひかる・かがやく....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
、九までの歌というものは、大部分慈円との競作や、兼実の女|宜秋門院が後鳥羽天皇の女御として入内のときの屏風の歌や、良経邸での歌会の歌やばかりで占められているとい....
無月物語」より 著者:久生十蘭
ったとき、喜春楽を舞って御感《ぎょかん》にあずかったという悧口者で、世間では祇園女御と呼んでいたが、毎月、月初めの三日、清水寺の籠堂でお籠りをすることを聞きつけ....
頼朝の最後」より 著者:田中貢太郎
の堂は何物を祭ってある堂じゃ」 僧は眼を開いた。 「これは御所の女房周防殿が、女御のために建てた堂でございます」 僧は右の方を見返って、仏壇の上に据えた絵像....