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好誼
「好誼〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
好誼の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「路上」より 著者:芥川竜之介
を桜草《さくらそう》の鉢へやると、腹の底から大きな息をついて、
「どうだ。年来の
好誼《こうぎ》に免じて、一つ案内役を引き受けてくれないか。僕はもう君が行ってくれ....
「少女地獄」より 著者:夢野久作
屍を受けたらこのお手紙の内容が表沙汰になる虞《おそれ》がありますからね。同業者の
好誼《よしみ》というものがありますからね」 「成る程。ありがとう。してみると貴下....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
えも商売ではないか。金一両に米三俵をくれるという仕事をなぜ断る。第一に隣り同士の
好誼ということもある。五年前、こっちの村に水の出た時には、隣り村の者が来て加勢し....
「近世快人伝」より 著者:夢野久作
「ウム。今その辞世を作りよるところじゃが」 「俺にも一つ作ってくれんか。親友の
好誼に一つ頒けてくれい。何も詠まんで死ぬと体裁が悪いけになあ。貴公が作ってくれた....
「マダム貞奴」より 著者:長谷川時雨
艦であった事を述べて許された。その上、咎《とが》められたのが好都合になって様々の
好誼《こうぎ》をうけ、行手の海の難処なども懇篤に教え諭《さと》され、鄭重《ていち....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
病苦で筆を執らなくなったにかかわらず、以前の如く報酬等を交附して、前後共に非常の
好誼を寄せられたことである。 子規氏の死んだのは三十六歳であったが、俳句その他....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
ん妻君を貰うても差支えないのです。ギャア・ラマは私を同郷の人であると言うて大変|
好誼をもって世話をしてくれました。それはともかく私は外に何とか方法を求めて道を穿....
「日本民芸館について」より 著者:柳宗悦
観覧料は一人三十銭、学生は半額。終りにこの民藝館の敷地および建物は大原孫三郎翁の
好誼によってできたものであることを申添えたく思います。開館したのは昭和十一年十月でした。....
「三国志」より 著者:吉川英治
からふかく将軍を慕っておられるので、特に、それがしに使いを命ぜられ、長くあなたと
好誼を結んでゆきたいとの仰せであります。――それも言辞の上や形式だけの
好誼でなく....
「三国志」より 著者:吉川英治
劉表は郭外三十里まで出迎え、互いに疎遠の情をのべてから、 「この後は、長く唇歯の
好誼をふかめ、共々、漢室の宗親たる範を天下に垂れん」 と、城中へ迎えて、好遇す....
「三国志」より 著者:吉川英治
を共にし給わずや。漁網の魚は、これを採って一|盞の卓にのぼせ、地は割譲て、ながく
好誼をむすぶ引出物としようではないか。 という意味のものだった。 ただし曹操....
「三国志」より 著者:吉川英治
な。同姓であるからには、先祖はきっと一家の者だったにちがいない。どうか長く一族の
好誼をむすんで下さい」 と、兄弟の盃を乞い、なお生れ年をたずねたりした。 生....
「三国志」より 著者:吉川英治
ておる。――で、呉は今こそ、かねて懸案の対魏方策を一決して、彼の望みどおり同盟の
好誼をむすび、その代りに、直ちに、曹仁の軍勢をもって荊州へ攻め入ることを条件とす....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
事を示しているのである。 日英同盟廃棄数年後になっても日本人は英国が日英同盟の
好誼を忘れた事を批難し、つい最近まで第一次欧州大戦に於ける日本の協力を思い出させ....
「大岡越前」より 著者:吉川英治
らかに、はっと気色をなし、凝視を、越前守の身一つにあつめた。 「せっかくの、御|
好誼には、越前も、越前個人として、ありがたくお受けはしますが、江戸町奉行の職にお....