如意輪[語句情報] » 如意輪

「如意輪〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

如意輪の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
荒雄川のほとり」より 著者:佐左木俊郎
普請《かりふしん》の小さなものになってしまった。当時、聖徳太子が自ら刻んだという如意輪《にょいりん》観音の像だけは、寺院の近くに、今にその堂宇《どうう》を残して....
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
った歴史の名場面ではないか。かくて共に討死を誓った一行は後醍醐天皇の御廟に詣で、如意輪堂の壁に各姓名を書き連ね、その奥に有名な「かへらじと」の歌を書きつけたとあ....
死生」より 著者:幸徳秋水
に感じて死だ、而して彼等の或者は其生死共に尠からぬ社会的価値を有し得たのである。如意輪堂の扉に梓弓の歌かき残せし楠正行は、年僅に二十二歳で戦死した、忍びの緒を断....
連環記」より 著者:幸田露伴
の母にも恩愛の涙と共に随喜の涙によって唱えられたことであったろう。 定基は東山如意輪寺に走った。そこには大内記慶滋保胤のなれの果の寂心上人が居たのである。定基....
死刑の前」より 著者:幸徳秋水
て、彼らのあるものは、その生死ともに、すくなからぬ社会的価値を有しえたのである。如意輪堂の扉にあずさ弓の歌を書きのこした楠|正行は、年わずかに二十二歳で戦死した....
大和路・信濃路」より 著者:堀辰雄
とは何もきいておりませんが、どういう由緒のものですかな。かたちから見ますと、まあ如意輪観音《にょいりんかんのん》にちかいものかと思いますが。……何しろ、ここいら....
夢殿殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
本とも同型のもので、幅二尺高さ七尺ばかり、上から三分の一までの部分は、ビルマ風の如意輪観音が半跏を組んでいる繍仏になっていて、顔を指している右手の人差指だけが突....
美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
のや、同金銅|釈迦三尊像や、所謂|百済観音像や、夢殿の救世観世音菩薩像、中宮寺の如意輪観音と称する半跏像の如き一聯の神品は、悉く皆日本美の淵源としての性質を備え....
夫人利生記」より 著者:泉鏡花
つ咲くのがある。明星の丘の毘沙門天。虫歯封じに箸を供うる辻の坂の地蔵菩薩。時雨の如意輪観世音。笠守の神。日中も梟が鳴くという森の奥の虚空蔵堂。―― 清水の真空....
二十歳のエチュード」より 著者:原口統三
ちに行け、と言う。 もっともだ。僕くらい、いい気な男はない。 *28如意輪寺で、 道ちゃんと玲子に贈るものはないだろうか、と僕の内奥の心が迷ってい....
古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
音のいずれにも見られないような一種|隠微な蠱惑力を印象するのである。 観心寺の如意輪観音に密教風の神秘性が遺憾なく現われているとすれば、あの観音に似た感じのあ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
たものとおもわれる。 偶然ではあろうが。和泉国の松尾寺では、かねがね北条退治の如意輪ノ法を修していたところ、ちょうどその満願にあたる日に、千早の囲みが解けたと....
私本太平記」より 著者:吉川英治
先も駈けとおした。正行の姿はもう下山の道とは逆な吉水院の谷を東へ下がって、彼方の如意輪堂の方へいそいでいるのだった。 みなあとから追っかけた。しかしそこへ急ぐ....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
たのである。見ると、いつのまに描いたのか、健吉さんがそれへ、白藤の花を背にした、如意輪観音と、一匹の鹿とを彩描していた。 「つい、ゆうべ二時ごろまでかかって、描....
親鸞聖人について」より 著者:吉川英治
で、人がみんな吉野山へ花見に行ってました。木炭車でやっと上までのぼりまして、あの如意輪堂のはるかに見える一目千本というあたりですか、あの谷をへだてましたガケぷち....