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「如是〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

如是の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
高野聖」より 著者:泉鏡花
にん》 調達破僧罪《じょうだつはそうざい》 犯此法師者《ほんしほっししゃ》 当獲如是殃《とうぎゃくにょぜおう》 と一心不乱、さっと木の葉を捲《ま》いて風が南....
運命」より 著者:幸田露伴
身|幸にして志を得たりと雖も、終に域外の楡木川に死し、愛子高煦は焦熱地獄に堕つ。如是果、如是報、悲む可く悼む可く、驚く可く嘆ずべし。 二年冬、建文帝|永慶寺に....
風流仏」より 著者:幸田露伴
発端如是我聞 上 一向専念の修業|幾年 三尊四天王十二童子十六|羅漢さ....
古狢」より 著者:泉鏡花
要品を読誦する程度の智識では、説教も済度も覚束ない。 「いずれ、それは……その、如是我聞という処ですがね。と時に、見附を出て、美佐古(鮨屋)はいかがです。」 「....
連環記」より 著者:幸田露伴
、腹の中で決断がついて終ったせいもあったろう。定基は突然として、家にも似合わず、如是因、如是縁、如是因、如是縁、と繰返して謂って、如何にしても縁というものは是非....
呉秀三先生」より 著者:斎藤茂吉
も楽しそうで、ちっとも不自然なところがない。私は先輩の医員の後ろの方から、先生の如是態度を覗見ながら、先生の「問診」がすなわち既に「道」を楽しむの域に達している....
学生と先哲」より 著者:倉田百三
姉崎正治 法華経の行者日蓮 倉田百三 祖国への愛と認識 ニーチェ ツァラツストラ如是説 旧約聖書中のイザヤ書。妙法蓮華経。マルチン・ルーテル伝。....
くろん坊」より 著者:岡本綺堂
ならば、必ずしもここに留まるにも及ばないが、悲しむべく怖るべきはかの髑髏である。如是畜生発菩提心の善果をみるまでは、自分はここを去るまいと決心して、彼はこの空家....
印度の詩人」より 著者:国枝史郎
と第一声とを発表した。その時わたしは同社の若い記者として、時の社会部長の長谷川|如是閑先生の下に、叱られ叱られ働いていたその時にも、会場の光景を書くべく、会場に....
今昔茶話」より 著者:国枝史郎
の幡恒春や、今は無き橋戸頑鉄や、水島爾保布や、釈瓢斉などであり、社会部長は長谷川如是閑先生であった。通信部には支那通の波多野乾一がいた。 そうして風見さんは、....
宝永噴火」より 著者:岡本かの子
んでみた。なるほど、この経典は不可解のものである。思想とか哲学めいたところは十|如是の文というところただ一個所だけであって、それも、文字で数えれば、たった三十四....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
れぬ。これも室町時代の「七十一番職人尽歌合」に、「穢多」という題で、 人ながら、如是畜生ぞ馬牛の 河原の者の月見てもなぞ とある。また「※嚢抄」(文安....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
ゝ月見てもなぞ」とあるに至っては、馬牛の皮を扱う河原者なるエタは、人ながらにして如是畜生であるとまで極端に賤しんだものであって、屠殺肉食を憎む仏教の影響の、いか....
黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
九日午前十時、此頂上を通過す」と、針木方面から縦走して来た河東(碧梧桐)長谷川(如是閖)一戸(直蔵)三氏の署名した標木があった。頂上の北寄りには、誰か知らぬが小....
八ヶ峰の断裂 」より 著者:木暮理太郎
賭しての大冒険に属する。一言にして尽せば此断裂は、上を強行するか下を迂廻するか、如是閑氏の所謂「労力の少ない危険」に就くか、又は「労力の多い安全」を択ぶかの二途....