妙心寺[語句情報] »
妙心寺
「妙心寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
妙心寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「阿部一族」より 著者:森鴎外
千代《つるちよ》は小さいときから立田山の泰勝寺《たいしょうじ》にやってある。京都
妙心寺出身の大淵和尚《たいえんおしょう》の弟子になって宗玄といっている。三男松之....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
当身の物と唱えられたらしい。『誌略』に雲住寺縁起に載った、秀郷の鏃を見んと、洛西
妙心寺に往って見ると、鏃甚だ大にしてまた長く、常人の射るべき物ならず、打根《うち....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
いい男なのだ。白眼に家康を見て帰った晩年の山楽が、池田新太郎少将のこしらえた京都
妙心寺の塔頭《たっちゅう》天球院のために、精力を傾注しているのは面白いじゃないか....
「ドナウ源流行」より 著者:斎藤茂吉
に呉れたという虫目金とか、久能山東照宮にある西班牙マドリー製の置時計とか、京都市
妙心寺の南蛮寺鐘とか、そんなものを西洋の遊覧者が見て起す気持に似ていたかも知れな....
「血ぬられた懐刀」より 著者:国枝史郎
である。 ここは京都の郊外の、上嵯峨へ通う野路である。御室の仁和寺は北に見え、
妙心寺は東に見えている。野路を西へ辿ったならば、太秦の村へ行けるであろう。 そ....
「興津弥五右衛門の遺書」より 著者:森鴎外
て詩歌を贈られ候人々は烏丸大納言資慶卿、裏松宰相資清卿、大徳寺清巌和尚、南禅寺、
妙心寺、天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺|並びに南都興福寺の長老達に候。 明日切....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
ましたか。」と私は尋ねた。 「狩野と菅と三人で叡山へ登った事と菅の案内で相国寺や
妙心寺や天竜寺などを観に行った位のものです。」と氏は答えた。 「お寺ばかりですね....
「新訂雲母阪」より 著者:直木三十五
――」 「いや、こうきまる上は、北国を廻って安全な道を、京の宿所《しゅくしょ》は
妙心寺内。」 「そうきまれば、お新さんと私は――」 「いいえ、妾は一人で――」 ....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
た。高野山学林、三井寺学林、比叡山学林などに明了に分っている。京都に南禅寺学林、
妙心寺学林かと思われるものがある。外に足利学林がある。大宮学林(熱田)がある。と....
「明治懐顧」より 著者:上村松園
毎月十一日に画会が開かれました。これには世話をするひとがいて、参考品を大徳寺とか
妙心寺とか、そうした各方面から古名画を借りてきて陳列したのです。随分よいものが陳....
「手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
。浄土宗の知恩院や百万遍、真言宗の東寺や智積院、真宗の両|本願寺、禅宗の南禅寺や
妙心寺や大徳寺、時宗の歓喜光寺、天台宗の妙法院や延暦寺。加うるに由緒の深い寺刹が....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
希先和尚に帰戒をさずけられ、山城の大徳寺からきた碩学について、京都や奈良に遊び、
妙心寺の愚堂和尚とか泉南の一凍禅師とかに教えをうけて、ずいぶん勉強したんですって....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
らしい。四方山のはなしのうちに、 「近ごろは、和尚にお会いなされますかな。花園の
妙心寺の愚堂和尚に」 幸村が訊くと、 「いや、さっぱり、御不音をつづけておる。....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
が、曾根の円通寺住職杉田宗直氏に照会してみたところやっと分った。 円通寺は花園
妙心寺系の禅寺で、杉田氏は兵庫県の仏教聯合会の理事をしていられるが、
妙心寺系の禅....