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「姓氏〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

姓氏の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
であるから仕方がないとしても、『大日本史』までもが『太平記』の真似をして「同盟の姓氏を如意輪堂の壁に題し、歌を其の後に書して曰く」とやって居るのは、どうかと思う....
運命」より 著者:幸田露伴
け、文章徳業、天下の仰望するところとなり、四方の学者、悉く称して太史公となして、姓氏を以てせず。濂|字は、景濂、其先金華の潜渓の人なるを以て潜渓と号す。太祖|濂....
薄紅梅」より 著者:泉鏡花
名の流れる、茅町あたりの借屋に帰って、吉原がえりの外套を、今しがた脱いだところ。姓氏は矢野|弦光で、対手とは四つ五つ長者である。 さし向って、三馬とトルストイ....
孔乙己」より 著者:井上紅梅
るのは「之乎者也」ばかりだから、人が聞けば解るような解らぬような変なもので、その姓氏が孔というのみで名前はよく知られなかったが、ある人が紅紙の上に「上大人孔乙己....
白花の朝顔」より 著者:泉鏡花
んと席を取って支度が出来ていて、さしむかいで、酒になった処へ、芝居から使の番頭、姓氏あり。津山彦兵衛とちょっとお覚え下さい。 (――すぐ、あとで、本郷座の前茶屋....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
ずしも禁門守備の任に当るもののみにあらざることは、その播磨の佐伯部に関する『新撰姓氏録』の記事によりても察するを得べし。播磨の佐伯部はもと武尊捕虜の後と称すとい....
露伴の出世咄」より 著者:内田魯庵
うと思うと、山出しの芋掘書生を扱う了簡でドコの誰とも訊いて置かなかったので住居も姓氏も解らなかった。いよいよ済まぬ事をしたと、朝飯もソコソコに俥を飛ばして紹介者....
層雲峡より大雪山へ」より 著者:大町桂月
小さき平流なりしが、間もなく渓壑迫りて、薬研を立てたるようになり、瀑布連続す。水姓氏は四、五貫の荷物を負えるに、危険なる処に至れば、先んじて登攀して、後より来る....
「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
姓の首に真人というのがあった。天皇の御子から分れ出でた家に与えられたもので、新撰姓氏録には特にこれを巻首に置き、その序に、「真人は是れ皇別の上氏なり、京畿を並集....
国号の由来」より 著者:喜田貞吉
日の本故に、色白うして眼青みあり」とあるのはこれである。古く既に平安朝初期の新撰姓氏録上表の文にも、奥州のことを「日出之崖」とある。鎌倉時代から室町時代にかけて....
炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
ていやしくも一城の主と呼ばれた程の地方の豪族のことごとくは、それぞれ源平藤橘等の姓氏を名乗っていた。これらは勿論よい加減な仮托が多かったに相違ない。しかしわざわ....
手長と足長」より 著者:喜田貞吉
縁がある。高橋氏は景行天皇東幸の際の御膳の役を勤めたものの子孫だと云う事で、新撰姓氏録には、宍人朝臣・阿倍朝臣などと同じく、大彦命の後だとあるが、宍人とは獣肉を....
間人考」より 著者:喜田貞吉
箸入に作る。高山寺本に箸人とあるに従うべきものであろう。) 間人という姓は新撰姓氏録に、 左京皇別上 間人宿禰 仲哀天皇皇子誉屋別命之後也。 山城国皇別 間人....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
ところで、「日本紀」には、継体天皇の皇子|椀子皇子は三国公の先なりとあり、「新撰姓氏録」に三箇所まで見えている三国真人も、いずれも継体の皇子椀子王の後なりとあっ....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
に当つるに「タミ」という邦語を以てしたことである。 本来「百姓」とは、あらゆる姓氏を有するものの総称で、その語にはもとより農民という意味はない。姓氏を有するも....