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「嫡子〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

嫡子の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
甚太夫と誤って殺したのであった。 平太郎には当時十七歳の、求馬《もとめ》と云う嫡子《ちゃくし》があった。求馬は早速|公《おおやけ》の許《ゆるし》を得て、江越喜....
箕輪心中」より 著者:岡本綺堂
にはお時も丁度かの十吉を腹に宿していたので、乳母はほかの女をえらばれた。しかし御嫡子《ごちゃくし》の若様にお乳《ちち》をあげたという深い縁故をもっている彼女は、....
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
った。が、白軍の副将の大島左太夫《おおしまさだゆう》という男は、指南番大島左膳の嫡子であって、槍を取っては家中無双の名誉を持っていた。 「殿のお勢いも、左太夫に....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
い触らしました。それから四、五日後に因幡守は急病頓死の届けを出して、当年十七歳の嫡子小太郎がとどこおりなく家督を相続しました。こういうことは、屋敷の方で何かのぼ....
仇討禁止令」より 著者:菊池寛
であった。多くは軽輩の士であったが、天野新一郎だけは、八百石取の家老天野左衛門の嫡子であり、一党の中では、いちばん身分が高かった。 天野新一郎は、少年時代から....
仇討三態」より 著者:菊池寛
留二郎は七十二歳の高齢であった。 兄弟がめでたく帰参したときは、新発田藩では、嫡子主膳正|直溥の世になっていた。が、君臣は挙って、幸太郎兄弟が三十年来の苦節を....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
土地の領主は三年あまりの長煩いで去年の秋に世を去った。その臨終のふた月ほど前に、嫡子の忠作が急病で死んで、次男の忠之助を世嗣ぎに直したいということを幕府に届けて....
姉川合戦」より 著者:菊池寛
て先頭に進み、騎馬の強者真先に立って殺到した。 右近の陣は鉄砲に打ちすくめられ嫡子久蔵(十六歳)を初め百余人撃たれて、敗走した。二番|側え池田勝三郎も丹波守の....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
撃した。その勢三千、謙信の旗本も、猛然之をむかえて邀撃し、右の方望月隊及び信玄の嫡子太郎義信の隊も、左備の原|隼人、武田逍遙軒も来援して両軍旗本の大接戦となった....
真田幸村」より 著者:菊池寛
、昌幸も地勢上、家康と和睦した。 家康は、昌幸の武勇侮りがたしと思って、真田の嫡子信幸を、本多忠勝の婿にしようとした。そして、使を出すと、昌幸は「左様の使にて....
死者の書」より 著者:折口信夫
に、参向する氏人の長者は、自然かの大師のほか、人がなくなって居る。恵美家からは、嫡子久須麻呂の為、自分の家の第一嬢子をくれとせがまれて居る。先日も、久須麻呂の名....
光は影を」より 著者:岸田国士
。 家ありて人は哀し 歓びは甘き忍従 憩いは恥じ知らぬ限り 家こそは愛と憎しみの嫡子 はた、夜と昼との落し子 恩恵の重荷に堪うるもの ただ奉仕の鎖 威圧は熱風と....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
卑しい心がある。彼は山名伊豆守|時氏の屋敷へも時どき出入りしているうちに、時氏の嫡子和泉守義氏が小坂部を懇望しているという噂を聞いた。単に懇望しているばかりでな....
エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
美しさに陶然とする至福の境地に、引き込まれ、思わず息をのむのだった。ルネサンスの嫡子としての彼の複雑性は、単に精神的な完成にのみあるのではなく、生活そのものにも....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
の姉を妻に迎えているから、自然鎌倉にも縁が出来て、実朝の添削をするようにもなり、嫡子為家には関東の豪族宇都宮頼綱の女を娶るという風であった。しかもそれは北条時政....