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嬬
「嬬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
嬬の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「箕輪心中」より 著者:岡本綺堂
約束を忘れるような男ではなかった。彼が家督を相続した頃には、運のわるいお時はもう
嬬婦《ごけ》になってしまって、まだ八つか九つの十吉を抱えて身の振り方にも迷ってい....
「名人長二」より 著者:三遊亭円朝
柳は根岸辺に住居していた物持|某の妻で、某が病死したについて有金を高利に貸付け、
嬬暮しで幸兵衛を手代に使っているうち、何時か夫婦となり、四五年前に浅草鳥越へ引移....
「青年」より 著者:森鴎外
である。又してもこの部屋であの態度を見たらどうだろうなどと思われる。脱ぎ棄てた吾
嬬コオト、その上に置いてあるマッフまでが、さながら目に見えるようになるのである。....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
到り、前日自身に代って水死した弟橘媛《おとたちばなひめ》を追懐して東南を望み、吾
嬬《あずま》はや、と三たび嘆じた。それから東国をアズマと呼ぶとある。鳥が鳴くアズ....
「メーデーに備えろ」より 著者:宮本百合子
品物を作らせられる関係上ブッ倒れるまでコキ搾られている。 現に十五六日前にも吾
嬬の方のゴム工場で、戦争用毒ガスマスクなどを作る仕事が忙しいため強制残業がつづき....
「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」より 著者:宮本百合子
にはさまって浮いて居る。女は上向き男は下向、川水が血と膏《あぶら》で染って居、吾
嬬橋を工兵がなおして居る。 ◎殆ど野原で上野の山の見当さえつけると迷わずにかえ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
実はすなわち神人……と呼ばれ給うたヤマトオグナの皇子が、このところに立って、「吾
嬬《あがつま》はや」とやるせなき英雄的感傷を吐かれて以来、この地点より見ゆる限り....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
頃合いの女夫仲《めおとなか》でござんしてな、ところはやはり大津の浜辺、御存じの吾
嬬川《あづまがわ》の石場の浜へ打上げられたのが、しっかりと抱き合った美しい年頃の....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
略解」 燈…………富士谷御杖「万葉集燈」 攷證………岸本由豆流「万葉集攷證」 檜
嬬手……橘守部「万葉集檜
嬬手」 緊要………橘守部「万葉集緊要」 古義………鹿持雅....
「だいこん」より 著者:久生十蘭
にちがいない。 満寿子さんの大おばあさまは先帝のお乳人で、叔母さまは二人とも女
嬬《にょじゅ》に上っている。八十いくつになっていられた大おばあさまは、五月二十五....
「香熊」より 著者:佐藤垢石
しかし、ほんとうの熊を食ったのは、つい五、六年前の話だ。私の義弟が、上州吾妻郡
嬬恋村大字大前と呼ぶ山村に、村医をつとめていたことがある。この山村は、上州と信州....
「魔味洗心」より 著者:佐藤垢石
橋の養鯉の池も、全く堪ったものでない。 それほど猛毒の持ち主である吾妻川でも、
嬬恋村大前の下手あたりから上流には、日本一の山女魚が棲んでいるのである。青く銀色....
「上野」より 著者:永井荷風
舞教師ノ女弟子ヲ率ルナリ。雅人ハ則紅袖翠鬟ヲ拉シ、三五先後シテ伴ヲ為シ、貴客ハ則
嬬人侍女ヲ携ヘ一歩二歩相随フ。官員ハ則黒帽銀※、書生ハ則短衣高屐、兵隊ハ則洋服濶....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
夫人もやはり牢屋の中に入れられて居ったが、今朝牢屋の出口で柳の太い生棒で三百ほど
嬬弱い臀部を打たれて歩けない程になって居る。その苦しい中でこの首枷を掛けられてそ....