子中[語句情報] »
子中
「子中〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
子中の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
出て、景気のいい啖呵《たんか》をきりながら、身をもって小娘をかばったのは、江戸っ
子中の江戸っ子をもって任ずる伝あにいです。 「だれに断わって、ふざけたまねしゃが....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
単なる疑いのみから、不用意にこれを下手人のごとく吹聴しているとするならば、江戸っ
子中の江戸っ子をもって任ずる伝六親方が、とうていこれを許せるはずはないのです。ま....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
組ほど諸方に送った。 二日の能が済んだ後、稽古所で祝宴があった。能の祝宴も皆弟
子中の持寄りで、極めて質素な平民的なものであった。 明治二十五年四月一日二日の....
「電車の混雑について」より 著者:寺田寅彦
せ考えるべき幾多の因子の多数にある事はもちろんである。しかし以上の考察はこれら因
子中の最も重要なるものに関したもので、これからの結論がだいたいにおいて事実とあま....
「「手首」の問題」より 著者:寺田寅彦
と自分には思われる。そうして音の振動数は主として弦で決定するが、音色を決定する因
子中の最も主要なものが手首の運動をつかさどるところの筋肉の微妙な調節にあるように....
「ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
きなるものはなんであるかを知らなかった、でかれはそれをひらいた。 「村上天皇の皇
子中務卿具平親王」 千三は最初の一段高く記した一行を読んでびっくりした。 「先....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
して十一月五日却って赤兄のために捉えられ、九日紀の温湯の行宮に送られて其処で皇太
子中大兄の訊問があった。斉明紀四年十一月の条に、「於解」の記事がある。この歌は行....
「自然現象の予報」より 著者:寺田寅彦
を成立さする必要上、自然界に或る秩序方則の存在を予想す。従ってある現象を定むる因
子中より第一にいわゆる偶発的突発的なるものを分離して考うれども、世人はこの区別に....
「物質とエネルギー」より 著者:寺田寅彦
や疑い難い事である。またこれら分子がまた原子から成立している事も疑いない事で、分
子中における原子結合の状況についても各方面から推定を下す手掛りが出来ている。前世....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
主人の巣だ」 「ふうん、そうか。やっと解った」 「随分有名な邸だろうが?」 「銚
子中で評判の邸だ」 「それがおれの主人の邸だ」 「そこでお前にきくことがある。何....
「多神教」より 著者:泉鏡花
ると、それがそのままに風雨順調、五穀|成就、百難|皆除の御神符となります段を、氏
子中申伝え、これが吉例にござりまして、従って、海つもの山つものの献上を、は、はッ....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
承知で、国吉は私の内弟子として私宅へ参ったのであった。これが私の最初の弟子で、弟
子中では最も古参であります。国吉は後に仔細あって旧姓山本に復し山本瑞雲と号したの....
「妖怪学」より 著者:井上円了
、二、三の事実につき説明を与えしもの、あるいは雑誌、あるいは新聞、あるいは諸小冊
子中に参見せるあり。今これを集録し、その部類を分かち、さらにその後研究したる事実....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
りてこれをみるに、その今日に発達せるところの原形は、すでにそのいまだ発達せざる種
子中に含有すること明らかなり。ゆえに、余は日本の仏教もインドの仏教も同一種なりと....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
た例祭月の正月と八月とには、朔日から十五日までは鳥獣の肉を喰うを禁じ、この間に氏
子中に死者あるとも、村内に葬ることをせず、隣村の境に到って葬儀を行うということで....