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孔子
「孔子〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
孔子の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神神の微笑」より 著者:芥川竜之介
きなさい。はるばるこの国へ渡って来たのは、泥烏須《デウス》ばかりではありません。
孔子《こうし》、孟子《もうし》、荘子《そうし》、――そのほか支那からは哲人たちが....
「河童」より 著者:芥川竜之介
知り、すこぶる安堵《あんど》せるもののごとし。
我ら会員は相次いでナポレオン、
孔子《こうし》、ドストエフスキイ、ダアウィン、クレオパトラ、釈迦《しゃか》、デモ....
「奇怪な再会」より 著者:芥川竜之介
、丁寧に円い頭を下げた。軸は狩野派《かのうは》が描《か》いたらしい、伏羲文王周公
孔子《ふくぎぶんおうしゅうこうこうし》の四大聖人の画像だった。
「惟皇《これこう....
「惜みなく愛は奪う」より 著者:有島武郎
道とすべきは常の道にあらずといったその道も或はこの本能を意味するのかも知れない。
孔子が忠信のみといったその忠信も或はこれを意味するのかも知れない。釈尊の菩提心、....
「宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
暦/エジプト天文学者の地位/ピラミッドの計量/支那人の宇宙観/道教/列子の見方/
孔子の教え ※ 泰西の科学は特権僧侶階級の私有物/ギリシアの自然哲学者たち/タレ....
「春の潮」より 著者:伊藤左千夫
るのがそもそも大間違いのもとだ。親のいうことにゃ、どこまでも逆らってならぬとは、
孔子さまでもいっていないようだ。いくら親だからとて、その子の体まで親の料簡次第に....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
校の校長は、先年皇子傅育官長になって死んだ、三好愛吉先生だった。 僕等は先生を
孔子様とあだ名していた。それは先生が
孔子様のような髯をはやしていたばかりでなく、....
「少年探偵長」より 著者:海野十三
にはったところにある万国骨董商チャンフー号に売ったのである。主人のチャン老人は、
孔子のように長い口ひげあごひげをはやして、トマトのように色つやのよい老人であった....
「歯車」より 著者:芥川竜之介
を見ずに殆ど虎の唸るように僕の話を截り離した。 「もし堯舜もいなかったとすれば、
孔子は※をつかれる筈はない」 僕は勿論黙ってしまった。それから又皿の上の肉へナ....
「阿Q正伝」より 著者:井上紅梅
に、わたしは筆を下すが早いか、いろいろの困難を感じた。第一は文章の名目であった。
孔子様の被仰るには「名前が正しくないと話が脱線する」と。これは本来極めて注意すべ....
「明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
けれどもほとんどそれを完全に実現して絶対無限の意識状態に到達したのである。それは
孔子だの、仏陀だの、クリストだの、ソークラテースだの、そういう後世に模範を垂れた....
「迷信解」より 著者:井上円了
たる説なるが、およそ世界の人類は一秒時に六十人ずつ生まれ出ずる割合なれば、釈迦、
孔子、家康もしくはナポレオンと同日同刻にその生まれたるもの、必ず五、六十人あるべ....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
、ヤソ教の他教に勝るゆえんのものは、愛をもって教の根本とするにあり。政教子曰く、
孔子は仁をもって道の体とし、釈迦は慈悲をもって教の本とす。仁と慈悲と愛とはその名....
「西航日録」より 著者:井上円了
うそぶくを聞かん。人事と天命とを尽くしてさらに悲しまず) また、君は余がかつて
孔子、釈迦、ソクラテス、カントの四聖を祭れるを知り、特にその賛を作りて余に贈る。....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
。) 広東の山よりみれば珠江なる、舟は木の葉の浮ぶかと思ふ 楼を下りて、さらに
孔子廟、水時計等、三、四カ所を歴観して帰船す。雷雨はげしく来たり、満身ためにうる....