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孝徳天皇
「孝徳天皇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
孝徳天皇の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
に拠り、「皇」の下に「女」を補って、「中皇女命」と訓み、舒明天皇の皇女で、のち、
孝徳天皇の后に立ちたもうた間人皇后だとし、喜田博士は皇后で後天皇になられた御方だ....
「屋根裏の犯人」より 著者:坂口安吾
、結構な風呂をちょうだい致した。その鼠のことだが、こんな話があるな。人皇三十七代
孝徳天皇の大化元年十二月の大晦日に、大和の国の岡本というところの都を難波の国の長....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
ている。牛頭天王は祇園精舎の鎮守の神であるが、それに観音を礼拝していたのである。
孝徳天皇がご病気であったので、宮中に参内して修法をした結果終にご恢復遊ばされた。....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
の手軽な手段を以て、これが始末をつけた事は平安朝頃に至っても頻りに行われていた。
孝徳天皇大化の制にも、民亡する時は地に収め埋むと云い、大宝令には或る一定の資格を....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
が、古えの呉国の域であり、それを「呉」として呼称する例であったからである。されば
孝徳天皇白雉五年に、唐国に使いして多くの文書宝物を得て帰った吉士長丹の労を嘉して....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
元年の条に、ともに穴穂部間人皇女とあるによって察せられる。また敏達天皇の皇女で、
孝徳天皇の皇后となられたお方を同書に間人皇女と云い、その「間人」をも古訓にハシヒ....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
ら良民・賤民という区別がありまして、これは法制上にも立派に認められておりました。
孝徳天皇の大化の改新の際には、従来の弊風はすべて打破されて、一切の人民は平等にな....