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「学僧〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

学僧の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
たものか虎が人を助けた談がある、『日本紀』二四に皇極帝四年四月、〈高麗《こま》の学僧ら言《もう》さく、「同学|鞍作得志《くらつくりのとくし》、虎を以《も》て友と....
十二支考」より 著者:南方熊楠
も忌まず、一疋二疋と数えず一羽二羽と呼んだ由、古ギリシアローマの学者またユダヤの学僧いずれも兎を両性を兼ねたものとしてしばしばこれを淫穢《いんえ》不浄の標識とし....
十二支考」より 著者:南方熊楠
ながら枝葉間に諸生物を安住せしむる状《さま》を件《くだん》の神馬王の長毛に比して学僧輩が名づけたのかも知れぬ。さなくとも長きもの神馬の尾髪、神子の袖、上臈のかも....
連環記」より 著者:幸田露伴
道を学んだ。聡明驚くべく、学は顕密を綜べ、尤も止観に邃かったと云われている。真の学僧|気質で、俗気が微塵ほども無く、深く名利を悪んで、断岸絶壁の如くに身の取り置....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
の案内役は、以前のこましゃくれた、肖《に》ている小坊主ではありません、しとやかな学僧の一人で、且つ、極めて無口の若者でありました。 「は、吉野朝時代でございます....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
た。 時々|高野山《ほんざん》から説教師が派出されてきた。その坊さんが若くて、学僧らしい顔付きをしていると人気があった。お婆さんたちがはしゃいだ声を出して御寄....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
ず、また田舎の巡業をしたものらしい。現に実隆の邸に出入した筆工のごとき、高野山の学僧だちをも得意としておったことは、実隆の日記にも見えている。筆工を喚んで筆を結....
源氏物語」より 著者:紫式部
、そして移ろうていく秋草の花の哀れな野をながめていては家も忘れるばかりであった。学僧だけを選んで討論をさせて聞いたりした。場所が場所であるだけ人生の無常さばかり....
雪の宿り」より 著者:神西清
学風は京の中でも一段と立勝って見えたのでございます。されば他の諸山からも、心ある学僧の一慶様の講莚に列なるものが多々ございました。その中には相国寺のあの桃源|瑞....
巷説享保図絵」より 著者:林不忘
、御用火消しなどのいかめしい姿が、人浪のあいだにちらほら見えていた。金剛寺の若い学僧たちも、肩をいからして、道ばたに立ちならんでいた。一空さまは、彼らと顔が合う....
東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
れる。二人は失望して南楊州あたりに戻って来た、この地方で聖武天皇から派遣された留学僧理鏡に会って「五台に文殊を尋ねたが日本に行って留守だ」と話した。それでは日本....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
します。 しても月に三円位、当り前にやれば八円もかかります。ところでこの修学僧侶はその学資を使ってセラ大学の科目となって居る仏教上の問答を学びますので、二....
私本太平記」より 著者:吉川英治
卑しむべきおせッかいであるまいか。 山伏ていの男が言った。 相手は、この辺の学僧らしい。 龍田の道ばた――つまり奈良|河内街道である。 腰かけている路傍....
私本太平記」より 著者:吉川英治
た。 まず第一に、彼女が西華門院に雑仕として上がる前から養われていた北ノ大路の学僧玄恵法印を、成輔が直接たずねた。 「……姿も見せぬ。いや、さような不始末では....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
峻天皇三年司馬|達等の子多須那が出家して、徳斉法師といったとある。推古天皇朝の留学僧|新漢人日文を後に旻法師ともいっている。大化元年紀には、沙門狛大法師僧歌」と....