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学問のすゝめ
「学問のすゝめ〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
学問のすゝめの前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
仄聞し、頗る福沢諭吉に傾倒した。明治九年に国学者|阿波の人某が、福沢の著す所の『
学問のすゝめ』を駁して、書中の「日本は※爾たる小国である」の句を以て祖国を辱むる....
「婦人と文学」より 著者:宮本百合子
のは福沢諭吉の「女大学評論」である。明治初頭の大啓蒙家の一人であった福沢諭吉の「
学問のすゝめ」は明治五年に発表された。それだのに、「女大学評論」の公表されたのは....
「婦人作家」より 著者:宮本百合子
権が樹立された。 福沢諭吉の「窮理図解」(一八六八)「世界国尽」(一八六九)「
学問のすゝめ」(一八七一)などが、新しい日本の文化をめざます鐘としてひびきはじめ....
「私たちの建設」より 著者:宮本百合子
めに、女奴隷のためのモラルとして書かれたものであることは前に触れた。福沢諭吉は「
学問のすゝめ」を見てもわかる通り、明治開化期における最も活動的な啓蒙家の一人であ....
「繻珍のズボン」より 著者:宮本百合子
「男女文学史」で知ったことも感興をひいた。明治七年と云えば福沢諭吉は四十一歳、「
学問のすゝめ」を出した二年後であり、祖父は四十六歳。津田真道が「開化を進る方法を....
「明治十年前後」より 著者:淡島寒月
て来たものであった。この『骨董集』を読んでいるうちに、福沢先生の『西洋旅案内』『
学問のすゝめ』『かたわ娘』によって西洋の文明を示されたのである。(この『かたわ娘....
「福沢諭吉」より 著者:服部之総
いる「福沢諭吉」は、明治四年以後の福沢諭吉である。あの、りん然として調子の高い『
学問のすゝめ』以降の福沢である。 『
学問のすゝめ』はひとしく不拘束なるものである....