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「学堂〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

学堂の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
予が半生の懺悔」より 著者:二葉亭四迷
うらじお》から満洲に入《い》り、更に蒙古に入《い》ろうとして、暫時《しばし》警務学堂に奉職していた事なんぞがある。 が、これは外面に現れた事実上の事だ。その心....
道草」より 著者:夏目漱石
《かざ》しながら友達の前に逐一事情を話した。 「どうだろう」 三年間支那のある学堂で教鞭《きょうべん》を取っていた頃に蓄えた友達の金は、みんな電鉄か何かの株に....
石狩川」より 著者:本庄陸男
》さん祖母《ばあ》さんの云う通りにしとったら、坊もりっぱな武士の子じゃ、そろそろ学堂で素読など授けられて――それを見なさい、お前の父ごが意地をはったばかりに、浅....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
普請医者に抱えられた蘭法医|小山内元洋である。弘前ではこれより先藩学|稽古館に蘭学堂を設けて、官医と町医との子弟を教育していた。これを主宰していたのは江戸の杉田....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
である。 雨夜の怪 後に尚書に立身した呂安老という人は、若いときに蔡州の学堂にはいっていた。ある日同じ寄宿舎にいる学生七、八人と夕方から宿舎をぬけ出して....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
然ここの家に火を発して、楊の部屋は丸焼けになった。 文昌閣の鸛 済南府の学堂、文昌閣の家の棟に二羽の鸛(雁鴻の一種である)が巣を作っていた。ある日、それ....
惜別」より 著者:太宰治
いよいよ支那の無能を全世界に暴露した致命的な乱であった。自分は翌年の十二月、礦路学堂を卒業したが、鉱山技師として金銀銅鉄の鉱脈を捜し出せる自信は無かった。自分が....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
講演会を開いた時に思ったよりも巧く喋舌った。次に徒歩主義会の講演を神田橋外の和強学堂で開いた時も出来栄えがよかった。そんな事で私は元気を回復して、今では演説や談....
落合町山川記」より 著者:林芙美子
店屋も出来ているので、なかなか越す気にはなれない。それに散歩の道が沢山あるし、哲学堂も近かった。春の哲学堂の中は静かで素敵だ。認識への道の下にある、心を型どった....
「吶喊」原序」より 著者:井上紅梅
だ。しかしわたしはそんなことを顧慮していられる場合でないから、遂にN地に行ってK学堂に入った。この学校に来てからわたしは初めて世の中に別に物理、数学、地理、歴史....
頭髪の故事」より 著者:井上紅梅
任せた。 さはさりながらこの髪斬病《かみきりびょう》は伝染した。三日目には師範学堂の学生がたちまち六本の辮子を剪り落した。晩になると六名の学生は隔離された。こ....
前記天満焼」より 著者:国枝史郎
「今日の講義はまずこの辺りで……」 云い捨て中斎が立ち上ったので、門弟一同も学堂を出た。 ………… 居間に寛いだ大塩中斎は、小間使の持って来た茶を喫し、....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
那語を勉強するツモリであったのである。幸い旧語学校の同窓の川島|浪速がその頃警務学堂監督として北京に在任して声望隆々日の出の勢いであったので、久しぶりで訪問して....
四十年前」より 著者:内田魯庵
を小犬を追払うように一掃した。その時最も痛快なる芝居を打って大向うを唸らしたのは学堂尾崎行雄であった。尾崎は重なる逐客の一人として、伯爵後藤の馬車を駆りて先輩知....