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学徳
「学徳〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
学徳の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「二人の友」より 著者:森鴎外
立てたとすると、F君はお大名だな」と云った。無遠慮な Egoist たるF君と、
学徳があって世情に疎《うと》く、赤子の心を持っている安国寺さんとの間でなくては、....
「竹青」より 著者:太宰治
ぶに必ず方有り、というからねえ。」魚容は、もっともらしい顔をして、れいの如くその
学徳の片鱗を示した。 「何をおっしゃるの。あなたには、お父さんもお母さんも無いく....
「運命」より 著者:幸田露伴
し時、太祖|其名を記し居たまいて特に釈されしことあるに徴しても明らかなり。孝孺の
学徳|漸く高くして、太祖の第十一子|蜀王椿、孝孺を聘して世子の傅となし、尊ぶに殊....
「ルバイヤート」より 著者:小川亮作
わすのがわからない、 もしまた美しくなかったらそれは誰の罪? 12 苦心して
学徳をつみかさねた人たちは 「世の燈明*」と仰がれて光りかがやきながら、 闇の夜....
「連環記」より 著者:幸田露伴
度されたでもあったろう。 寂照は寂心恵心の間に挟まり、其他の碩徳にも参学して、
学徳日に進んで衆僧に仰がれ依らるるに至り、幾干歳も経ないで僧都になった。僧都だの....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、人から受くることばかりで、与えるということを更にしなかった。その報いによって、
学徳は左様に高かったけれども、財縁というものが甚だ薄く、修行時代には赤貧洗うが如....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
心和尚を知らない人はないのでしょう。それは名刹《めいさつ》恵林寺の大和尚として、
学徳並びなしという意味において知っているのではなく、そのブン廻しで描いたような真....
「白塔の歌」より 著者:豊島与志雄
荘家の温良な雰囲気はまた新時代の自由性をも許容するものでありまして、荘太玄の高い
学徳を山に譬えれば、その麓には、荘一清を中心にした新新文芸一派の若芽が自由に伸び....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
中村屋にとり大切なおとくいでした。一つにはその思い出をあらたにし、またあなた方に
学徳ともに高き先生のお教えを頂くために、先だって淀橋公会堂で博士の御講演をお願い....
「鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
噂されるような偏屈な狭隘な人でなかったのは明白である。 だが、極めて神経質で、
学徳をも人格をも累するに足らない些事でも決して看過しなかった。十数年|以往文壇と....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
もちろん出来ない。普通人民の子供でありさえすれば、誰でも五、六十年の修行を重ねて
学徳兼備の高僧となればこの位に就くことが出来るです。
ですからむしろ実地の
学徳....
「西航日録」より 著者:井上円了
にうつれる月までも純理批判のかげかとぞ思ふ 不出郷関八十春、江湖遠処養天真、先生
学徳共無比、我称泰西第一人。 (郷里の村を離れず、八十年の歳月を送る。江湖の遠い....
「法然行伝」より 著者:中里介山
立ち出でた。 重衡によって焼かれた東大寺を造営の為め、大勧進の沙汰があったが、
学徳名望共に法然上人の右に出ずる者が無いというような理由で、後白河法皇から、右大....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
いる。当時の沢庵は、未来の鋒鋩を蔵しつつ、まだ泉州堺|大安寺の文西西堂について、
学徳の切磋に孜々たる頃であった。 (彼が法業の功を認められて、沢庵の号を授けられ....