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「学舎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

学舎の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
満韓ところどころ」より 著者:夏目漱石
悍《せいかん》にでき上がっている。始めて彼を知ったのは駿河台《するがだい》の成立学舎という汚《きた》ない学校で、その学校へは佐藤も余も予備門に這入《はい》る準備....
学生時代」より 著者:幸田露伴
です、十六七の頃に通学した事のある漢学や数学の私塾の有様や、其の頃の雑事や、同じ学舎に通った朋友等の状態に就いてのお話でも仕て見ましょう。今でも其の時分の面影を....
闘争」より 著者:小酒井不木
は野人であった。すでにその学歴からが、毛利教授は大学出であるのに、狩尾博士は済生学舎を出てすぐ英国に渡って苦学した人だった。そうして狩尾博士はS区に広大な脳病院....
僕の昔」より 著者:夏目漱石
ったが、途中でよしてしまって、予備門へはいる準備のため駿河台にそのころあった成立学舎へはいった。そのころの友人にはだいぶえらくなったやつがある。それから予備門へ....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
ると、一方の張先生は例のごとく生徒をあつめて、夜学の勉強を監督していた。 州の学舎は日が暮れると必ず門を閉じるので、生徒は隙をみてそっと門をあけて、かの張鬼子....
落第」より 著者:夏目漱石
る。面白くもないし、二三年で僕は此中学を止めて了《しま》って、三島中洲先生の二松学舎へ転じたのであるが、其時分|此処《ここ》に居て今知られて居る人は京都大学の田....
私の経過した学生時代」より 著者:夏目漱石
って入学試験の準備をしていたものである。 その頃、私の知っている塾舎には、共立学舎、成立学舎などというのがあった。これ等の塾舎は随分|汚《きたな》いものであっ....
百姓弥之助の話」より 著者:中里介山
た。そうして人力車を挽《ひ》いたり、風呂炊きになったり様々の職業をやりながら二松学舎に通った。 その時分の事、書生が大勢集まってお茶を飲み餅菓子を盛んに食べて....
安吾巷談」より 著者:坂口安吾
林秀雄の妹が同じように研究生であった。 この山口は小石川白山下に門戸をはる白眼学舎、小西某という占師の甥で、この占師の家に寄食していた。私は中学時代によくここ....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
的にあたたかに、また清浄にと願うはもとより、因縁尽きず、ここにまたささやかながら学舎を開いて、研成学院と名づけるにつけ、古を回顧して自ら警しむることかくの通りで....
三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
ら医学の勉強をする。もし都合がつけば当時唯一の便利な医学校といってもよかった済生学舎に通って修学する。それが出来なければ基礎医学だけは独学をしてその前期の試験に....
月の夜がたり」より 著者:岡本綺堂
く休みがちで、僕よりも一年おくれて卒業した。それから医者になるつもりで湯島の済生学舎にはいった。そのころの済生学舎は実に盛んなもので、あの学校を卒業して今日開業....
田沢稲船」より 著者:長谷川時雨
て、お父さんは御心配なさってたが。」 「出来ないはずないでしょ。済生《さいせい》学舎(医学校)だって、早くっから、女を入れたのでしょ。」 「そうらしいけれどね。....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
同情する気持が強くて、惜し気もなく金を出して下すったのでした。その人は本郷の済生学舎の近くに的場を遣っていられました。 全くの命拾いをしたはつが、どうお礼をし....
慶応義塾の記」より 著者:福沢諭吉
よって吾が党の士、相ともに謀《はか》りて、私にかの共立学校の制にならい、一小区の学舎を設け、これを創立の年号に取りてかりに慶応義塾と名づく。 ことし四月某日、....