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孫堅
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孫堅の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「三国志」より 著者:吉川英治
に答える声が、遠くながら聞えてきた。 「これは呉郡富春(浙江省・富陽市)の産で、
孫堅、字は文台という者です。古の孫子が末葉であります。官は下※の丞ですが、このた....
「三国志」より 著者:吉川英治
に応じて、 「われ赴かん」 と、旗指し物を上げて名乗った者がある。長沙の太守|
孫堅であった。 この暁。 洛陽の丞相府は、なんとなく、色めき立っていた。 ....
「三国志」より 著者:吉川英治
の天子といい、曹操といい、袁紹といい、董卓といい、呂布といい、劉玄徳といい、また
孫堅その他の英傑といい、一面みな弱いはかない「我れ」なることを知っていた。――広....
「三国志」より 著者:吉川英治
には、江岸の肥沃な地にめぐまれていたし、兵馬は強大だし、かつては江東の孫策の父|
孫堅すら、その領土へ侵入しては、惨敗の果てその身も戦死をとげ、恨み多き哀碑を建て....
「三国志」より 著者:吉川英治
善事を修行してくだされ」 「ははは――」孫策は哄笑して――「母上、この孫策は、父
孫堅にしたがって、十六、七歳から戦場に出で、今日まで名だたる敵を斬ることその数も....
「三国志」より 著者:吉川英治
呉主を扶け、かならず国を失わぬように励まして賜もれ。江夏の黄祖は、むかしわが夫の
孫堅を滅ぼした家の敵ですから、きっと冤を報じなければなりませぬ……」 また、孫....
「三国志」より 著者:吉川英治
の大将|太史慈であった。 呉の太史慈といえばその名はかくれないものだった。呉祖
孫堅以来仕えてきた譜代の大将であり、しかも武勇はまだ少しも老いを見せていない。 ....
「三国志」より 著者:吉川英治
式典を行い、天下に大赦を令し、即日、黄武八年の年号を、黄龍元年とあらため、先王|
孫堅に対しては、武烈皇帝と諡して、ここに、呉皇帝の即位は終った。 嫡子の孫登も....