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孫権
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孫権の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
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「十二支考」より 著者:南方熊楠
》を鷹が打たんとし、曹不与誤って筆を屏風に落し点じたのを蠅に作り直せしを、呉帝|
孫権《そんけん》真の蠅と思い指で弾《はじ》きにかかった類話もある(『古今著聞集』....
「三国志」より 著者:吉川英治
の正室である呉氏の腹には、四人の子があった。 長男の孫策、字は伯符。 第二子
孫権、字は仲謀。 第三男、孫翊。 第四男、孫匡。 などの男ばかりだった。 ....
「三国志」より 著者:吉川英治
まり、 「そなたの亡夫がいたらのう」と、かえって泣いてばかりいる。 孫策は弟の
孫権に、 「おまえに大将|周泰をつけておくから、宣城を守り、わしに代って母に孝養....
「三国志」より 著者:吉川英治
が弟を扶け、ゆめ怠るな」 そういって、細い手を、わずかにあげて、 「弟、弟……
孫権はいるか」と見まわした。 「はい、はい、
孫権はここにおりまする」 群臣のあ....
「三国志」より 著者:吉川英治
ったでしょうか」 「いや。なおここで、江南から江東地方をみる要があります。ここは
孫権の地で、呉主すでに三世を歴しており、国は嶮岨で、海山の産に富み、人民は悦服し....
「三国志」より 著者:吉川英治
魯粛と※統は、この夜、あとに残って、留守の本陣を守っていた。 その夕。 呉主
孫権の本軍は、旗下の勢とともに、すでに黄州の境をこえて、前進していた。 兵符を....
「三国志」より 著者:吉川英治
呉侯の妹、玄徳の夫人は、やがて呉の都へ帰った。
孫権はすぐ妹に質した。 「周善はどうしたか」 「途中、江の上で、張飛や趙雲に阻め....
「三国志」より 著者:吉川英治
が関羽に味方したためといってよい。関羽の勢いがあまりに伸びるのを欲しないのは呉の
孫権である。いま呉を説いて、関羽のうしろを突けといえば、
孫権はかならず呼応するに....
「三国志」より 著者:吉川英治
至った。 陸遜は、多大な鹵獲品と、数万にのぼる降人をひきつれて、建業へ還った。
孫権は自身宮門まで出て、 「このたびの功や大なり。呉の柱ともいうべきである」 ....
「三国志」より 著者:吉川英治
けだ。 そして遂に、その理想は実現を見、玄徳は西蜀に位置し、北魁の曹操、東呉の
孫権と、いわゆる三|分鼎立の一時代を画するに至ったが、もとよりこれが孔明の究極の....