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宇内
「宇内〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
宇内の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「近世快人伝」より 著者:夢野久作
のような精神は文句にも云えず、筆にも書けない。否文句以上、筆以上の壮観で、烈々|
宇内を焼きつくす概があった。頭山が遣るというなら俺も遣ろう。奈良原が死ぬというな....
「文士としての兆民先生」より 著者:幸徳秋水
譜※の本系なり。之を人と云えば人なり。之を神と云えば神なり。政治学的に人類学的に
宇内の最も貴重すべき一大古物なり。上無始に溯りて其以前に物あることなく、此
宇内の....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
伺ひ候渡辺崋山の無人島説どころのものにあらず、規模雄大を極めたるものにて、特に『
宇内《うだい》混同秘策』なる論説の如きは、日本が世界を経綸すべき方策を論じたるも....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
くこうなくてはならない。蠢動するばかりが能ではない。亢奮するばかりが能ではない。
宇内の大勢も心得ず、人斬包丁ばかり振り廻すのは人間の屑と云わなければならない。…....
「塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
角「それがサ間違えで、そうすると其の猟人が駆付けて来て、死骸を見て魂消て、あゝ
宇内か知んなかった、己が浪人して居るのを世に出してえと思って金が欲くなったかえ、....
「向嶋」より 著者:永井荷風
万仞《とっこつばんじん》。東ニ波山ヲ瞻《み》レバ翠鬟《すいかん》拭フガ如シ。マタ
宇内ノ絶観ナリ。先師|慊叟《こうそう》カツテ予ニ語ツテ、吾京師|及《および》芳山....
「将来の日本」より 著者:新島襄
しばしば巻をおおい覚えず快哉《かいさい》と呼ばしめたりき。それ君の著書たる、広く
宇内《うだい》の大勢を察し、つまびらかに古今の沿革に徴し、いやしくも天意の存する....
「尊攘戦略史」より 著者:服部之総
あたはか》らんや藤原|実美《さねとみ》等、鄙野匹夫《ひやひっぷ》の暴説を信用し、
宇内《うだい》の形勢を察せず国家の危殆《きたい》を思はず、朕《ちん》が命を矯《た....
「三国志」より 著者:吉川英治
瑁 そのほか、済北の相、鮑信、字は允誠とか、西涼の馬騰とか、北平の公孫※とか、
宇内の名将猛士の名は雲の如くで、袁紹の兵は到着順とあって、第十七鎮に配せられた。....
「三国志」より 著者:吉川英治
人の天下にあらず、すなわち天下の人の天下である。高祖、三尺の剣をひっさげて、義を
宇内に唱え、仁を布き、四百余年の基を建てられしも、末世現代にいたり、中央は逆臣の....
「三国志」より 著者:吉川英治
位を称え給うには非ず。漢中王に即かるる分には、何のさしつかえがありましょう。いま
宇内二分して、呉は南に覇をとなえ、魏は北に雄飛し、また君のご威徳によって、西蜀漢....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
た。 「……疾くより、みかどにはふかく御たよりに思され、時あれとしておわせしが、
宇内八荒のありさま、今や坐視あらせらるるに忍び給わず、ついに御意を決して、二十四....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
には御不服との聞えがある。いま御辺につむじをまげられたら、これまた朝廷のみならず
宇内の大事といわねばならん。そこで忠顕がたれのおさしずというでもなけれど、ま、篤....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
池家の門へ、幸運の鳥が来て啼いたようなものだ。――尊氏を討たば、その軍功は当然、
宇内随一の勲功。――いやでもこの全九州は菊池家の下風に服せざるをえまい」 あな....