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宇和島
「宇和島〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
宇和島の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
、勤王の魁首である土佐藩は、早くも朝敵追討の軍を起して、伊予に入り、同じく勤王の
宇和島の藩兵を加え、松山の久松松平家を帰順させ、予讃の国境を越えて、讃岐へ入って....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
を申し付けたから、そのことを各国公使に告げるよう勅命をこうむった、と認めてある。
宇和島少将(伊達宗城)の花押まである。 その日、兵庫の永福寺の方では本犯者の処....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
遺憾ながら無銘にして置きます」と言われた。 また本年四月、我輩の故郷なる伊予の
宇和島にて、旧藩主伊達家の就封三百年記念として、藩祖を祀った鶴島神社の大祭が行わ....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
伊予の国も、石鐵県と神山県と二ツに分かれていたのを合して愛媛県とせられた。そこで
宇和島吉田大洲新谷松山今治小松西条の旧八藩と宇摩《うま》郡の旧幕領とが一ツ管轄に....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
の照る庭さきに、一匹の大きな黒犬が、心得顔に前肢《まえあし》をそろえて見ている。
宇和島|伊達《だて》遠江守殿から贈られた隣藩土佐産の名犬、忠相の愛する黒というり....
「工学博士末広恭二君」より 著者:寺田寅彦
昭和七年四月九日工学博士|末広恭二君の死によって我国の学界は容易に補給し難い大きな損失を受けた。 末広君の家は旧
宇和島藩の士族で、父の名は重恭、鉄腸と号し、明治初年の志士であり政客であり同時に....
「前記天満焼」より 著者:国枝史郎
かけたが、 (本名宇津木|矩之丞と、ほんとに宣っては面白くない) そこで、 「
宇和島鉄之進」と宣った。 「ではこの金を……」 「頂戴いたす。どれ」と小判を掴も....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
、同情するように、よく判ります、というように、眉をひそめて、頷いた。
「それに、
宇和島、福岡の親族共が、わしの隠居に同意しおって、内密で、幕府へ策動していよるが....
「『七面鳥』と『忘れ褌』」より 著者:佐藤垢石
ている。大奥で、豆をいるなどということを、一体誰が教えたものであろう。 また、
宇和島藩主伊達宗城から、やはり越前慶永への書翰に――この頃、井上佐太夫御預り御秘....
「海豚と河豚」より 著者:佐藤垢石
漁れたもの。広島近くでは宮島、江田島、大阪近くでは播州の家島群島中鞍掛島、太島、
宇和島、加島など、また淡路島の福良から由良へかけての荒い瀬戸、紀淡海峡などのもの....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
刊された。それが実に我『ホトトギス』であった。計らずもこの原稿を認める日、在伊予
宇和島の増永|徂春君から左の手紙の写しを送って来てくれた。これは『子規書簡集』に....
「釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
ったが、この奈良茶や五匁の上所《じょうどころ》へ蒲鉾を納めて名を売ったのが、伊予
宇和島から出て来た初代の磯屋平兵衛であった。 当代の平兵衛は四代目で、先代に嗣....
「奥羽地方のシシ踊りと鹿供養」より 著者:喜田貞吉
て依然鹿角を附しているものであると解せられる。そしてそれは次項述ぶるところの伊予
宇和島地方の鹿の子踊りによって、さらに裏書きさるべきものであらねばならぬ。 伊....
「獅子舞雑考」より 著者:中山太郎
ものは、僅に二つしか見たことがないので、余り口綺麗なことも言えぬけれども、伊予の
宇和島の八ツ鹿踊(大正十三年に東京に来た事がある)と、摂津の多田村の多田神社の鹿....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
の氏神祭にも招かれて出かけて行くのだという。けだし田楽の遺物で、三月号に紹介した
宇和島の鹿の子踊りや、豊橋の鬼祭のような類で、昔は各地に行われたものが、名を忘れ....