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「宇陀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

宇陀の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
◯明治神宮本殿、拝殿も焼失。千百数十発の焼夷弾のかすが発見されたという。 ◯大下宇陀児君より聞き、見舞に行った。涙をのむのに骨を折りながら、奥さんと二時間あまり....
古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
ます」と申しあげました。命は、そこから、いよいよ険しい深い山を踏み分けて、大和の宇陀というところへおでましになりました。 この宇陀には、兄宇迦斯、弟宇迦斯とい....
敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
に成りましたな」 五十九 久「えゝお抱えに成りましたと云うのは、宇陀の浅間山に北條彦五郎という泥坊が隠れていて、是は二十五人も手下の者が有るので....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
東へ帰るつもりならば、長谷の町の半ばに「けわい坂」というのがあって、それを登ると宇陀郡《うだごおり》萩原の宿へ出る、それが伊勢路へかかって東海道へ出る道であるか....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
か」 「デモ倉ではないか」 「そうでなければプロ亀」 「江戸川乱歩か」 「大下|宇陀児《うだる》か」 「ただし加賀爪甲斐守ではないか」 「坂部三十郎とも思われな....
源氏物語」より 著者:紫式部
役人に御物の楽器が召された。夜がおもしろく更けたころに楽器類が御前にそろった。「宇陀の法師」の昔のままの音を朱雀院は珍しくお聞きになり、身にしむようにもお感じに....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
うちなびき寐も寝らめやも古おもふに 〔巻一・四六〕 柿本人麿 軽皇子が阿騎野(宇陀郡松山町附近の野)に宿られて、御父|日並知皇子(草壁皇子)を追憶せられた。そ....
最古日本の女性生活の根柢」より 著者:折口信夫
、軍将の妻なる巫女の場合には、後の形をとったことと思われる。 神武天皇の大和の宇陀を伐たれた際には、敵の兄磯城・弟磯城の側にも、天皇の方にも、男軍・女軍が編成....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
鳥の地があり、そこから山岳になって吉野へ熊野へと通じるわけだ。東の方へは初瀬から宇陀、伊賀を越えて伊勢路へ通じ、西の方へは二上山を経て河内、大阪方面へ通じている....
わが寄席青春録」より 著者:正岡容
だいたので、代わりに翁はいつも帰りには一杯飲ませてくだすったが、初対面が盛夏大下宇陀児氏らと武州飯能の座談会で、そのとき無闇に麦酒ばかり煽ったので、よほどの麦酒....
俳人蕪村」より 著者:正岡子規
》 同 塩鯛の歯茎も寒し魚《うを》の店《たな》 同 等二十句を出でざらん。宇陀《うだ》の法師に芭蕉の説なりとて掲げたるを見るに 春風や麦の中行く水の音 ....
現下文壇と探偵小説」より 著者:平林初之輔
作品も書くけれども、それは探偵小説としてはあまりすぐれていないとする。また大下|宇陀兒《うだる》が、探偵小説だけはすぐれたものを書くけれども、他の小説は全く駄目....
新人の諸作一括」より 著者:平林初之輔
大下|宇陀兒《うだる》氏の「蛞蝓《なめくじ》奇談」(『新青年』増刊)これはショート・ス....
五重塔」より 著者:幸田露伴
寺を成せるは誰ぞ。法諱を聞けばそのころの三歳児も合掌礼拝すべきほど世に知られたる宇陀の朗円上人とて、早くより身延の山に螢雪の苦学を積まれ、中ごろ六十余州に雲水の....
古事記」より 著者:太安万侶
祖先です。それから山坂を蹈み穿《うが》つて越えてウダにおいでになりました。依つて宇陀《うだ》のウガチと言います。 久米歌 ――幾首かの久米歌に結びついている....