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守田座
「守田座〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
守田座の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
者であった。かれはこの狂言の書きおろしを知っていた。それは明治八年の春、はじめて
守田座で上演されたもので、彦三郎の越前守、左団次の伊賀之助、菊五郎の天一坊、いず....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
ると、猿若町の芝居を見て来たというのです。こんな騒ぎの最中でも、猿若町の市村座と
守田座はやはり五月の芝居を興行していて、市村座は例の権十郎、家橘、田之助、仲蔵な....
「石狩川」より 著者:本庄陸男
それはそうだ」
「ひとつ、お供のかなった思いでに、あれが見たいものでございます、
守田座とかいう芝居座のことを、話に聞いておりましたが――」
すると阿賀妻は立ち....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
女敬が母と共に坐食するに忍びぬといって、媒するもののあるに任せて、猿若町三丁目|
守田座附の茶屋|三河屋力蔵に嫁し、次で次女|銓も浅草|須賀町の呉服商|桝屋儀兵衛....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
の事を話すと、藤野氏もちょうど見たいと思っている所だと言われて、翌日猿若三丁目の
守田座を見物することになった。この座の座頭は沢村|訥升《とつしょう》、立女形は弟....
「朱絃舎浜子」より 著者:長谷川時雨
》をしたので、遊廓の未完成のまま立退《たちの》きを命じられた。 新富座の前名の
守田座は、その島原へ建った。もともと、遊廓と芝居は離れない因縁をもっていて――歌....
「ある恋の話」より 著者:菊池寛
ょうが、私のは少し違っていたのです。私が恋したその役者と云うのは、浅草の猿若町の
守田座――これは御維新になってから、築地に移って今の新富座になったのですが、役者....
「釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
陽が水溜りに映えて、そのころから晴れになった。 三 ちょうど二月、
守田座には本所の師匠の書卸し「船打込橋間白浪《ふねにうちこむはしまのしらなみ》」....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
ら、初めて劇場というものの空気のなかに押し込まれたのは、明治八年の二月であった。
守田座はこの年から新富座と改称したので、その二月興行は「扇音々大岡政談」――例の....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
、猿若町の三座とも正月興行を休み、二月に至りて漸く開場。 ○五月十五日、市村座と
守田座の開演中に、上野彰義隊の戦闘あり。その後も市中おだやかならず、劇界不振をき....