安倍[語句情報] » 安倍

「安倍〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

安倍の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
二人小町」より 著者:芥川竜之介
地獄へ行くのです。 小町 地獄へ! そんなはずはありません。現に昨日《きのう》安倍《あべ》の晴明《せいめい》も寿命《じゅみょう》は八十六と云っていました。 ....
葬儀記」より 著者:芥川竜之介
斎場を出て、入口の休所《やすみどころ》へかえって来ると、もう森田さん、鈴木さん、安倍さん、などが、かんかん火を起した炉《ろ》のまわりに集って、新聞を読んだり、駄....
東海道五十三次」より 著者:岡本かの子
いる二軒のあべ川|餅屋《もちや》の前を通ると直ぐ川瀬の音に狭霧《さぎり》を立てて安倍川が流れている。轍《わだち》に踏まれて躍る橋板の上を曳かれて行くと、夜行で寝....
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
っているその人の顔を恐るおそる仰いで視た。播磨守泰親は陰陽博士《おんようはかせ》安倍晴明《あべのせいめい》が六代の孫で、天文|亀卜《きぼく》算術の長《おさ》とし....
婦系図」より 著者:泉鏡花
と言います―― その元気だから、どうかこうか薬が利いて、一度なんざ、私と一所に安倍川へ行って餅を食べて茶を喫んで帰った事もあったんですが、それがいいめを見せた....
アド・バルーン」より 著者:織田作之助
人のよさそうな巡査はしかし取り合わず、弁当を恵んで、働くことを薦めてくれました。安倍川の川さらいの仕事です。私はさっそくやってみましたが、何しろはじめは夢中にな....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
ることとて、笑はるる方も候はんずらん。 とあるがごときこれなり。これらは大宮人が安倍宗任を夷なりと嘲り、藤原清衡がみずから東夷の遠酋、俘囚の上頭をもって任じたる....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
いる。いかに東奥の夷狄とはいいながら、かなり馬鹿にしたものではないか。基衡の妻は安倍宗任の女で、毛越寺の境内に観自在王院を建立した。四壁に洛陽霊地の名所を図絵し....
炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
筋々への運動等も、金が物言う習いは昔も今も変りはない。奥州六郡の長たる俘囚頼時が安倍姓を名乗っているのは、おそらく先祖が運動の結果、夷地に名声の轟く阿倍比羅夫の....
手長と足長」より 著者:喜田貞吉
というとの事が、松屋筆記(七十八)に見えている。嘉永の富田永世著上野名跡誌には、安倍貞任の残党の霊を祭ったのだとも、越後風土記に見えた土蜘蛛八握脛を祭ったのだと....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
日本人になってしまったのであります。 その事実の中で最も著しいのは、前九年役の安倍氏、後三年役の清原氏、平泉で繁盛を極めた藤原氏から、遥かに時代が下って鎌倉室....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
厨川といい、これを越えるとすぐに柵址への上り口となる。ただしこの厨川というのは、安倍貞任の最期を告げた奥州の厨川とは全然別の厨川だ。柵址には八幡神社が勧請せられ....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
夷大将軍の棟梁坂上田村麿も、少くとも昔の奥州の人は蝦夷仲間だと思っておりました。安倍貞任・清原武則・藤原清衡のような英雄・豪傑、佐藤忠信・西行法師の如き勇士・歌....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
暦の宗家たる幸徳井家で、それは陰陽町に移ったとはいっておらぬ。幸徳井は賀茂氏で、安倍氏とならんで京都陰陽師の両家と称せられた家である。賀茂氏は勘解由小路家と称し....
放免考」より 著者:喜田貞吉
賀茂祭の行列の状を記して、 右府生紀 兼康 左府生大江経弘 右志 中原重成 左志安倍資成 清原季光 中原清重 中原広基 右尉 平兼隆 ....