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安政の大地震
「安政の大地震〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
安政の大地震の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
りは洗って来ましたよ」 庄太の報告によると、辰伊勢は江戸町でも可なり売ったが、
安政の大地震のときに、抱えの遊女を穴倉へ閉じ籠めて置いて、みんな焼き殺してしまっ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
、例の蝋燭問屋の万屋へ奉公することになりました。そうすると、その年の十二月二日は
安政の大地震、店の土蔵が崩れたので、その下敷きになって死んでしまいました。どうし....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
りますからね。それほど嫌いでなけりゃあ、今夜は蛇の話をしましょうよ。あれはたしか
安政の大地震の前の年でした」 七月十日は浅草観音の四万六千|日で、半七は朝のう....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
れ地蔵というものが出現しました。林泉寺に比べると、ずっと新らしいもので、なんでも
安政の大地震後に出来たものだそうです」 「そういう地蔵を新規に拵えたんですか」 ....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
たことは書けそうもない。 去年七十七歳で死んだわたしの母は、十歳の年に日本橋で
安政の大地震に出逢ったそうで、子供の時からたびたびそのおそろしい昔話を聴かされた....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
光って、乾いたりぬれたりしている無数の白い花崗石の間におどっていた。 その年は
安政の大地震後初めての豊作と言われ、馬籠の峠の上のような土地ですら一部落で百五十....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
って見ると、葬られて行くものは、ひとり半蔵の父ばかりではなかった。あだかも過ぐる
安政の大地震が一度や二度の揺り返しで済まなかったように、あの参覲交代制度の廃止を....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
…私の生まれた翌年の六月に米国の使節ペルリが浦賀に来た。その翌年、私の二ツの時は
安政の大地震、三年は安政三年の大暴風――八歳の時は万延元年で、桜田の変、井伊掃部....
「死体の匂い」より 著者:田中貢太郎
た。色の黒い※野な顔をした田舎武士は、安政乙卯の年十月二日の午後十時、かの有名な
安政の大地震に逢って、母を救い出そうとして家の中へ入ったところで、家が潰れて圧死....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
まり、一種の機略だろう……大びらに西郷江戸に来《きた》るとなれば、江戸の天地が、
安政の大地震以上に震動するかも知れない……ははあ、薩摩の陪臣《ばいしん》一人が出....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
り》の櫓太鼓の曲弾を子供ながら面白く感じた。 子供の時の記憶で最も驚いたのは、
安政の大地震であった。それは夜の四ツ時で、私はもう眠っていた。私は人に抱かれて外....
「池袋の怪」より 著者:岡本綺堂
安政の大地震の翌る年の事で、麻布の某藩邸に一種の不思議が起った。即ち麻布六本木に....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
一体、浅草は余り火事|沙汰のない所|故、土蔵など数えるほどしかなかった。それに
安政の大地震の際、土蔵というものが余り役に立たなかったことを経験しているので、一....
「火に追われて」より 著者:岡本綺堂
たことは書けそうもない。 去年七十七歳で死んだわたしの母は、十歳の年に日本橋で
安政の大地震に出逢ったそうで、子供の時からたびたびそのおそろしい昔話を聴かされた....