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「安曇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

安曇の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
梓川の上流」より 著者:小島烏水
「神垣内《かみかきうち》」と唱えるとある、綿津見は蒼海《わだつみ》のことで、今の安曇《あずみ》郡は蒼海から出たのであろう、自分は土地に伝わっている神話と地形から....
単独行」より 著者:加藤文太郎
が吹き、一荒れごとに淋しい落葉の音もまれに、梢越しにははや雪が見え出してくるし、安曇野の村々には冬篭りの用意ができ、どの家にも暖い炬燵が仕切られてくる。ちょうど....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
心(佐久郡。平賀城) (2)諏訪頼茂(諏訪郡。上原城) (3)小笠原長時(筑摩、安曇郡、深志城〈松本〉) (4)木曾義康(木曾谷、福島城〈福島〉) (5)村上義....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
郷としては伊奈百十九か村、中三宿へは伊奈九十九か村、上四宿へは筑摩郡八十九か村と安曇郡百四十四か村を指定した。このうち遠村で正人馬を差し出しかね代永勤めの示談に....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
、熊本はわたしの故郷ではありません」 六十七 信濃の国は安曇《あずみ》の郡《こおり》の山また山――雪に蔽《おお》われた番所ヶ原を、たった....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
成学校は明治五年の頃、長野県で最初に設けられた小学校であった。私の生れたのは信州安曇郡穂高村の白金という所で、この研成学校は、家から十二、三丁のところにあった。....
穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
ものは一つもない、東隅には方二寸五分高さ二尺の測量杭がたった一本。東南は信濃|南安曇安曇村、一歩転ずれば飛州|吉城郡|上宝村、海抜約三千百十米突、従来最高峰と....
手長と足長」より 著者:喜田貞吉
遠ざくとあって、料理番はあまり名誉の職ではなかった。我が古代でも内膳司の長官は、安曇・高橋の二氏が任ぜられる例であったが、この二氏ともに手長族に縁がある。高橋氏....
古事記」より 著者:太安万侶
ワタツミの神とウハヅツノヲの命です。このうち御三方《おさんかた》のワタツミの神は安曇氏《あずみうじ》の祖先神《そせんじん》です。よつて安曇の連《むらじ》たちは、....
手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
」でしょうか。下高井郡|豊郷村坪山などで産します。これに劣らないのは大町の奥の北安曇郡の「松崎紙」や「宮本紙」かと思います。いずれも雪晒しによって、その白さを得....
野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
オイランスイコ(スイコンボウ)同 南佐久郡 カラスッパ 同 北安曇郡 これ等はことごとく命名の趣旨が自分にはわかる。即ちタカズイコは高いから....
木綿以前の事」より 著者:柳田国男
は他にもあることであろうか。もう少し例を集めてみたいものと心がけている。信州|北安曇郡の郷土誌を見ると、この郡|北城村の切久保という処には、昔おかるという若い女....
日本の伝説」より 著者:柳田国男
えが、また信州にもありました。信州では、諏訪大明神が国堺を御きめなされるために、安曇郡を通って越後の強清水という所まで行かれますと、そこへ越後の弥彦権現がお出向....
年中行事覚書」より 著者:柳田国男
いていどの郡でも、古い人たちのこういうことを知っている者が多いかと思う。私は南|安曇郡の年中行事篇から、この事実を引用するのだが、ここでも家によって少しずつ言う....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
へ移って全部落退転した。やはり陰陽師であったと大橋氏の報告にある。 同国 高島郡安曇村大字田中字産所(『郷土研究』四巻一〇号二二頁)。古来五戸、現今三戸、巫筋と....