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安藤
「安藤〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
安藤の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
。氏名左の如し、 ◯梨本宮守正王 ◯平沼騏一郎、広田弘毅 ◯有馬頼寧、後藤文夫、
安藤紀三郎、井田磐楠、菊地武夫、水野錬太郎 ◯本多熊太郎、天羽英二、谷正之、青木....
「とむらい機関車」より 著者:大阪圭吉
機関庫主任の岩瀬さんはとうとうB町の巡査派出所へワタリをつけました。 派出所の
安藤巡査からの報告に依りますと、三匹の豚は、やはりB町附近のそれぞれ別々の所有者....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
ばれたあの庄司何とか君の親爺さんだ)という陸軍教授が主となって、やはり陸軍教授の
安藤(今は早稲田の教授)だの、何とかという高等学校の先生のフランス人だのが始めた....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
すまい。まあ、これから下谷へ行って御覧なさい」 半七は先に立って歩いた。二人は
安藤坂をのぼって、本郷から下谷の池の端へ出た。きょうは朝からちっとも風のない日で....
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
横山城への抑え 丹羽 長秀(兵三千) 氏家 直元(兵千)
安藤 範俊(兵千) 徳川家康(二十九歳) ――六十余万石、兵数約一万六千、....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
勢なる銃隊を以て、敵を玉串川の左岸に圧迫し、木村の軍は裏崩れをし重成戦死す。 「
安藤謹んで曰く、今日|蘆原を下人二三人|召連通候処、蘆原より敵か味方かと問、乗掛....
「戦後新人論」より 著者:坂口安吾
るから、そう云うのが当然で、つまり現代から捨てられ見放されている残骸にすぎない。
安藤鶴夫氏は趣味家で、失われたものゝ良さを現代に伝えてくれる有難い人であるが、わ....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
|大膳亮。一万二十一石遠山美濃守。十万石松平大蔵大輔。三万石大久保佐渡守。五万石
安藤長門守。一万千石米津啓次郎。五万石水野大監物。そうして最後に乗り込んで来たは....
「宝塚生い立ちの記」より 著者:小林一三
ほ 三好小夜子 筑波峰子 若菜君子 逢坂関子 その指導者としては
安藤弘氏、唱歌は
安藤智恵子夫人、音楽は高木和夫氏、事務の方面は温泉主任安威勝也、....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
羽の北部に蟠居せし蝦夷を指せるなり。また『保暦間記』に、 元亨二年の春、奥州に
安藤五郎三郎、同又太郎と云ふ者あり。彼等が先祖
安藤五郎と云ふ者、東夷の堅めに、義....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
の『諏訪大明神絵詞』には、根本は酋長もなかりしを、武家その濫吹を鎮護せんために、
安藤太というものを蝦夷管領とすともある。異本『伯耆巻』にも、「奥州津軽の住人安東....
「くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
の説はもはや他の異説を容るるの余地なきまでに動かし難いものであろうか。 今一つ
安藤正次君によって、歴史地理三十三巻三号(大正八年三月)に発表せられた新説がある....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
途五万七十五マイルをつつがなく過了するを得たり。ときに検疫あり。九時、家族および
安藤弘、鼎義暁両氏、本船に来たりて迎えらる。十時上陸、十一時新橋着。四、五十名の....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
)に移れという。私にとって第三区ははじめての選挙区ではあり、相手には頼母木桂吉、
安藤正純、田川大吉郎、伊藤痴遊というそうそうたる人がひかえている。京橋、日本橋、....
「早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
の商店として、私の知る限りでは古くから名の知れた老舗であろう。紅谷はたしか小石川
安藤坂の同店の支店で、以前はドラ焼を呼び物とし日本菓子専門の店だったが、最近では....