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宗と
「宗と〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
宗との前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
の北、宜春県にある。 宋家の母 魏の黄初年中のことである。 清河の宋士
宗という人の母が、夏の日に浴室へはいって、家内の者を遠ざけたまま久しく出て来ない....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
なかった。後森部の戦に一番乗りして、始めて許されたと云う。 笠寺の湯浅甚助|直
宗と云う拾四歳の若武者は軍の声を聞いて、じっとして居れずに信長の乗かえの馬を暫時....
「画学校時代」より 著者:上村松園
ていました。まるで仏教の学校のように感じます。東宗北宗などと言いますと…… 東
宗というのは柔かい四条派で、主任の先生は望月玉泉さん。 西
宗というのは、新しく....
「みさごの鮨」より 著者:泉鏡花
水屋のように出来ていて、それから大廊下へ出入口に立てたのが件の金屏風。すなわち玄
宗と楊貴妃で、銀瓶は可いけれども。……次にまた浴衣に広袖をかさねて持って出た婦は....
「発明小僧」より 著者:海野十三
か。」 重役「知らんネ。……本当かネ……。」 小僧「本当でございますとも。魏の曹
宗という人が……。」 重役「曹宗か。アレなら知っとる……。」 小僧「ああ、御親友....
「健康と仕事」より 著者:上村松園
自分で自分の体に感心することがある。 若いころ春季の出品に明皇花を賞す図で、玄
宗と楊貴妃が宮苑で牡丹を見る図を描いたときは、四日三晩のあいだ全くの一睡もしなか....
「ある恋の話」より 著者:菊池寛
母の家では前宗(前島宗兵衛)に、十万両と云う途方もない借財を拵えていましたが、前
宗と云う男が、聞えた因業屋で、厳しい督促が続いたものですから、祖母の父はその督促....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
いわゆる北方の強者にして、元来夷狄の長とするところなれば、当時文弱に流れ、優美を
宗とせる京師の※紳より、これを賤みて夷と称せしものならんと。しかれども、これまた....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
ものは勢い因襲に俘われる。日本人は画の理解があればあるほど狩野派とか四条派とか南
宗とか北
宗とかの在来の各派の画風に規矩され、雪舟とか光琳とか文晁とか容斎とかいう....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
、また創始者たる名誉は二人の中のドッチとも定められないとしても、今日の言文一致の
宗とするは美妙よりはむしろ二葉亭である。 さてこの『浮雲』の構案であるが、一体....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
へ来たのである。
幸いにしてチベットの新教派の仏教は確かに我が国の正統派の真言
宗と一致して居る。その教祖(龍樹菩薩)もまた一致して居る。かくもよい教えを持って....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
て、慈善会、救助会等を設くるの風あり。これ、良風習というべし。これに反し、新教諸
宗とローマ
宗とは互いに敵視するの風ありて、往々争論をその間に起こすことありという....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
英国宗(チャーチ・オブ・イングランド)、一人はプレスビテリアン宗であるが、この二
宗とも新教なれば、ともかくも一致ができる。しかるに旧教徒が船客の三分の一を占めて....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
だと思う。 しかし問題は二条派を代表させた頓阿の側にもある。頓阿は俗に二階堂貞
宗という人の法名というが、この人の系図はあまりあてにならぬ。(頓阿については、斎....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
阿弥陀子」、または「南無阿弥陀講」の訛りであろうと言われている。これらはみな念仏
宗と特殊民との関係を語っているもので、我が国のいわゆる賤民史上、ことに重要なる地....