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「宗祇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

宗祇の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
東海道五十三次」より 著者:岡本かの子
燻らしながら、ぽつぽつ話をする。 この庵の創始者の宗長《そうちょう》は、連歌は宗祇《そうぎ》の弟子で禅は一休に学んだというが、連歌師としての方が有名である。も....
さようなら」より 著者:田中英光
くは嘗ての川合がそうだったように、生きながら死んでいるみたいな実感がある。西行、宗祇、芭蕉というより、むしろ彼らの小亜流たちが無常の強さ哀しさ孤独さに支えられ、....
俳諧の本質的概論」より 著者:寺田寅彦
俗に対したのでは俳人芭蕉は大成されなかったに相違ない。連歌と俳諧の分水嶺に立った宗祇がまた行脚の人であったことも意味の深い事実である。芭蕉の行脚の掟はそっくりそ....
十二支考」より 著者:南方熊楠
うと信じたるを、プリニウスそれは海鰻《はも》に吃い去らるるのだと駁撃した。しかし宗祇『諸国物語』に、ある人いわく、市店に売る蛸、百が中に二つ三つ足七つあるものあ....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
しつつあった。しかしてその往来に必ずしも護衛を付するという次第でもなかった。かの宗祇およびその流れを汲む連歌師らは、鎮西から奥州まで、六十六国を股にかけ、絶えず....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
などと同じ種類のものである。「かざしにせんとは、我妻にせんとおもひしと云心也」(宗祇抄)とある如く、また桜児という名であったから、「散りにけるかも」と云った。 ....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
その藤村が今では大磯の土に親んで、記念の梅樹の下にその魂を寄せている。藤村も宗祇や芭蕉と同じように自庵では死なないで、ずっと広い世界に涯ない旅をつづけている....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
と尭孝との定家の立て方 十七 東常縁、老年の定家を立てて『新古今集』を排斥する、宗祇、古今伝授 十八 歌道はまさに消えようとしていた、結語 草木のさやぎにも神....
野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
音も元はタンポポと聴いたのであった。中世盛んに流行した歌問答の昔話にも、西行とか宗祇とかいう旅の歌人が、摂津の鼓の滝に来て一首の歌を詠んだ話がある。 津の国の鼓....
木綿以前の事」より 著者:柳田国男
活の経験が、後世の読者とは共通でなかったことを挙げなければならぬ。連歌全盛時代の宗祇・兼載の頃から、受け継いでいた俳諧師の学問というものは、近世の俳人ともまただ....
こども風土記」より 著者:柳田国男
た路傍の小児から、あべこべに遣りこめられるという話で、わが邦ではこれを西行上人や宗祇法師の逸話として、妙に数多く各地に伝えている。知らぬ人も少なかろうがこの例を....