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宝寺
「宝寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
宝寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「心中浪華の春雨」より 著者:岡本綺堂
がひたいをあつめてその趣向を練っていると、ここに又ひとつの新しい材料がふえた。大
宝寺町の大工庄蔵の弟子で六三郎《ろくさぶろう》という今年十九の若者が、南の新屋敷....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
その頃のことだった。 また、その日清戦争から帰って来てからは、一里ばかりある大
宝寺という、ほんとうの実弾射撃をやる射的場へ連れて行った。そしてそこでは、ビュウ....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
て、終に毛利との媾和に成功した。和成るや飛ぶが如くに馳せ上って、光秀の虚を山崎|
宝寺天王山に衝き、光秀をして三日天下のあわれを喫せしめた。この山崎合戦が、まさに....
「古狢」より 著者:泉鏡花
仏会に、お向うの遠藤さんと、家内と一所に、麹町六丁目、擬宝珠屋根に桃の影さす、真
宝寺の花御堂に詣でた。寺内に閻魔堂がある。遠藤さんが扉を覗いて、袖で拝んで、 「....
「大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
は、すなわち火事と夜店の八の日だった。それは八日、一八日、二八日に出るところの大
宝寺町の夜店だった。母はその日がくると今夜はよのよだといった。すなわち横町の夜店....
「連環記」より 著者:幸田露伴
、老若男女、皆此噂を仕合った。で、寂照が願文を作って、母の為めに法華八講を山崎の
宝寺に修し、愈々本朝を辞せんとした時は、法輪|壮んに転じて、情界|大に風立ち、随....
「アド・バルーン」より 著者:織田作之助
、私はもう甘くなかった。なんだい、継母じゃないかという眼で玉子を見て、そして、大
宝寺小学校へ来年はいるという年ごろの新次を掴えて、お前は継子だぞと言って聴かせる....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
云え、この寺の奴らときては油断のならぬ曲者ぞろいだ。 今はなくなったが、芝で七
宝寺といえば相当な寺であった。ところが、維新の廃仏毀釈に、この寺が特に手痛く町民....
「四国遍路日記」より 著者:種田山頭火
数をかけました、……のんべいのあさましさを味う、……友情のありがたさを味う。 大
宝寺 朝まゐりはわたくし一人の銀杏ちりしく お山は霧のしんしん大杉そそり立つ へ....
「鯉」より 著者:岡本綺堂
まったく不忍池の主かも知れないと思ったくらいだ。」 二 新堀|端に龍
宝寺という大きい寺がある。それが和泉屋の菩提寺で、その寺参りの帰り途にかの大鯉を....
「起ち上る大阪」より 著者:織田作之助
鈴木町」とある。鈴木町というのは十年ばかり前まで田村さんが代々住んでおられた内久
宝寺町の古い町名で、田村さんのお屋敷は代官の金蔵があった跡である。 この地蔵さ....
「姫柚子の讃」より 著者:佐藤垢石
京都へ上った。そのうち鈴木栄之助だけは故郷の鶴岡へ帰ってきた。鶴岡市の郊外に、大
宝寺村というのがある。栄之助は明治になってから、大
宝寺村の戸長、次に村長となって....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
おぬしの母親は、とんでもないことだと俺を叱りとばしたし、また、おぬしとは許婚の七
宝寺のお通さんも、俺の姉までも、みんなして、郷士の子は郷士でおれと、泣いて止めた....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
ろもいる。分家の聟、分家の姉、河原の叔父貴――みんな温ッたかい! お通のいる七
宝寺の鐘はきょうも鳴っているだろう。英田川の水は今もながれているだろう、河原の花....
「特殊部落と寺院」より 著者:喜田貞吉
府へ出た。 一、穢多僧取扱方之儀伺 越後守お預所備中国阿賀郡村尾村一向宗穢多寺永
宝寺と申もの有之、尤本寺は摂津富田本照寺にて、是迄素人僧の儀は、呼出之節は如何取....