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宝徳
「宝徳〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
宝徳の前後の文節・文章を表示しています。該当する5件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
圃。入口は西にあって、墓は※形に並んで居る。古い処で寛文元禄位。銀閣寺義政時代の
宝徳のが唯一つあるが、此は今一つはりがねで結わえた二つに破れた秩父青石の板碑と共....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
ケ、それよりカハラケと転《うつ》して呼ぶに及んだでなかろうか。『日次記』に右の歌
宝徳三年頃すでにあったよう見えれば、愚考が万一|中《あた》ると、不毛をかく唱うる....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
った。 永享五年一月には、伊勢、近江、山城に、同年九月には相模、陸奥、甲斐に、
宝徳元年四月には山城、大和に、文正元年四月には山城、大和に、明応三年五月にはやは....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
正徹に学んだ。しかし家が二条派だったので尭孝に学び、ついに専ら尭孝の門に入った。
宝徳二年五十歳頃からのことである。兄|氏教に子がなかったので
宝徳三年五十一で東氏....
「山の人生」より 著者:柳田国男
ていたのである。それが一人かはた幾人もあったのかは別として、京都の地へも文安から
宝徳のころに、長寿の尼が若狭から遣ってきて、毎日多くの市民に拝まれたことは、『臥....