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「宝生流〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

宝生流の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
にも懲《こ》りず打ち入るかって、ひどい目に合せてやりまさあ」と寒月君は自若として宝生流《ほうしょうりゅう》に気※《きえん》を吐《は》いて見せる。 「探偵と云えば....
梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
あった。喜多流に非ざれば能楽に非ずという勢いであった。そこでそれならば自分は一つ宝生流を福岡に広めてやろう。喜多流ばかりが能でないという事を事実に証明してやろう....
能とは何か」より 著者:夢野久作
も考えられる。能楽愛好者の九十何パーセントがこの流儀に属しているのは無理もない。宝生流は観世流に次いで起ったものだそうである。その流風は観世の円満味を多角的に分....
花筐と岩倉村」より 著者:上村松園
あった。 もともと「花がたみ」の能には小面、孫次郎を使うので、観世流では若女、宝生流では増という面を使うのであるが、わたくしは、以上の考えから「増阿弥」の十寸....
漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
る。氏は熊本に居る頃加賀宝生を謡う人に二、三十番習った事があったので、誰か適当な宝生流の師匠はなかろうかと言われた時に、私は松本金太郎翁を推挙したのであったが、....
丸の内」より 著者:高浜虚子
当然なことのように思えて来た。 震災で宝生舞台の焼けたということは、報知講堂で宝生流素謡会を開かしめるようになった。今は誰もそれを怪しまぬではないか。 それ....