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「客死〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

客死の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
M侯爵と写真師」より 著者:菊池寛
も外聞もあったものではありません。何でもかでも「撮ったが勝」です。いつか、日本で客死したルーマニア公使の葬式が、駿河台のニコライ堂で行われた時でした。まだ若い美....
千曲川のスケッチ」より 著者:島崎藤村
印度内地及び錫蘭に於ける阿育王の遺跡なぞを探り、更に英国の方へ引返して行く途中で客死した。この学士の記念の絵葉書が、沢山飯山の寺に遺っていたが、熱帯地方の旅の苦....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
屋より伊勢、京都への旅に出た。かねて旧師|宮川寛斎が伊勢|宇治の館太夫方の長屋で客死したとの通知を受けていたので、その墓参を兼ねての思い立ちであった。どうやら彼....
女肉を料理する男」より 著者:牧逸馬
もなく、まもなく空手でロンドンに帰ってきていた。 数年後、マナガ市の精神病院で客死《かくし》した、かつてそうとう知名の外科医だった英国人の一狂人が、その死の床....
道標」より 著者:宮本百合子
電車通りを先へ、わかれた。 その|秋の展覧会《サロン・ドオトンヌ》には、パリで客死した磯崎恭介の作品と遺骨をつれて日本へ帰って行った須美子の作品が入選している....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
た。 伊沢柏軒はこの年五十四歳で歿した。徳川|家茂に随って京都に上り、病を得て客死したのである。嗣子鉄三郎の徳安がお玉が池の伊沢氏の主人となった。 この年七....
惜別」より 著者:太宰治
なった。それからしばらくして水戸という駅を通過し、これは明末の義臣|朱舜水先生の客死されたところ、Wandervogel の大先輩の悲壮の心事を偲び、少しく勇気....
B教授の死」より 著者:寺田寅彦
えにうっとうしい微温の雨が降るような時候になると、十余年ほど前に東京のSホテルで客死したスカンジナビアの物理学者B教授のことを毎年一度ぐらいはきっと思い出す。し....
文学における今日の日本的なるもの」より 著者:宮本百合子
、自由党解散の前年「天賦人権論」を著し、獄中生活の後、渡米してフィラデルフィアで客死した。 自由党が禁圧せられ、国会開設が決定され、今日殆ど総ての作家によって....
明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
奴《さだやっこ》の「女優養成所」の監督となって、劇術研究に渡米し、米国ボストンで客死したとき、財産の全部ともいうほどを、昔日の恋人に残した佳話の持主で、書残され....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
たり。蝶八は一団を率いて南米北米を打ち廻りあまた艱難を重ねたるのちブラジルの地に客死せり。時に明治七年なり。取り残されたる一団は解散し、金次、慶吉らは本国に帰着....
日記」より 著者:宮本百合子
箇人の力によるものかと云うことが分る。 三月二十七日(日曜) ラッセルが北京で客死した報道。 ラッセルの思想なり、事業なりに、自分は深い理解は持って居ない。....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
たのは惜しいことでした。 祖父が病を押して江戸からお国へ帰る途中、近江の土山で客死せられたのは、文久元年のことでした。長兄が生れる前年です。ですから私たち兄弟....
二階から」より 著者:岡本綺堂
K君の忰の魂のゆくえを思わずにはいられない。 新聞を見ると、市川団五郎が静岡で客死したとある。団五郎という一俳優の死は、劇界に何らの反響もない。少数の親戚や知....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
て知らる。浄瑠璃にも有名の作少なからず。 ○十月十三日、五代目坂東彦三郎、大阪に客死す、四十六歳。江戸末期より明治の初年にわたる名優の一人にて、団十郎、菊五郎も....