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「客観的精神〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

客観的精神の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
道徳の観念」より 著者:戸坂潤
どその組み立てを同じくする)。 元来ヘーゲルが法乃至道徳と考えるものは正確には客観的精神と呼ばれている処のものだ。今日広く文化形象一般を客観的精神とも呼んでい....
詩の原理」より 著者:萩原朔太郎
の、人間性の止《や》みがたき熱望に動機するのである故《ゆえ》に、西洋文明に於ける客観的精神の本質は、本来「主観への逆説」であり、詩を否定しようとするところの、別....
デカルト哲学について」より 著者:西田幾多郎
い。ヘーゲルの論理は弁証法といえども、なおアリストテレス的主語的たるを免れない。客観的精神の論理であって、歴史的実践の世界の、歴史的形成力の論理ではない。我々は....
科学論」より 著者:戸坂潤
うのは、精神とは主観の心を超越して歴史的に社会的に生きる客観的形象のことだ。――客観的精神こそ精神の本領である。 ここでは個々の社会人が歴史の動きにつれて得た....
現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
な主観的で無形な個人的意識のことではない。それは意識が、歴史的社会的存在に於て、客観的精神として、云わば形態を取って現われた処の、観念形態・意識形態・即ち取りも....
認識論とは何か」より 著者:戸坂潤
例えば精神の概念へ行かねばならぬ。この場合残されたものは主観的精神ではなくて所謂客観的精神でなければならぬ。之は主観的なスピリットのようなものではなくて、客観的....
思想としての文学」より 著者:戸坂潤
ない点を見よ)。少なくともディルタイが云っているような生が、即ち歴史や政治として客観的精神の形を取って現われる生活が、本当の生や生活の概念をなすのである。 で....
世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
現象をも指している。シビリゼーション乃至啓蒙(アウフクレールンク)も、こうした「客観的精神」や、「教養」を基本として初めてその意義を受け取るのだというのが、この....
辞典」より 著者:戸坂潤
学・道徳・芸術・宗教等の文化や国家・教会・家族等の外的諸組織が取りも直さずかかる客観的精神としての生の表現なのである。生は外部的に表現されて、初めて却ってその見....
哲学入門」より 著者:三木清
である。歴史の主体は個人であることができぬ、それは何等か超個人的なもの、いわゆる客観的精神の如きものでなければならぬ。客観的精神は個人的な主観的精神に対し、個人....
哲学の現代的意義」より 著者:戸坂潤
るなら、文化は認識の総括となる。但し文化という言葉が含んでいる様々な要求(例えば客観的精神とか文明からの区別とか)は抜きにして、便宜上そう呼ぶとすればである。こ....