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室町時代
「室町時代〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
室町時代の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「鯉魚」より 著者:岡本かの子
ず》しい詩偈《しげ》そのままの境域であります。 開山より何代目か経《た》って、
室町時代も末、この寺に三要という僧《そう》が住持をしていました。 禅寺《ぜんで....
「辞書」より 著者:折口信夫
必要である。でないと、いちいちの言語の位置が決まらない。いつでも、江戸時代の語も
室町時代のも、奈良朝の語も、同じに扱っている。江戸時代の語の説明に奈良朝の語をも....
「人形の話」より 著者:折口信夫
けのパトロンができてきたということにすぎない。それ以前はどういう団体であったか。
室町時代の記録をみればよくわかる。人形廻し(「くぐつ廻し」というと少し古典的にな....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
にいかなる影響をあたえたかということでございます。かの『今昔物語』を始めとして、
室町時代、徳川時代の小説類、ほとんどみな支那小説の影響を蒙っていない物はないと言....
「歌の円寂する時」より 著者:折口信夫
短歌様式から琉歌様式に展開した痕を示すものの見えることを教えてくれた。どどいつや
室町時代の閑吟集の小唄類を見ても、口語律の変化が、歌謡の様式を推移させて行く模様....
「取返し物語」より 著者:岡本かの子
しまうのは惜しい。此の戯曲には可なりそれを活用してみた。 時 文明十一年十一月(
室町時代末期) 処 近江国琵琶湖東南岸 人 蓮如上人 浄土真宗の開祖親鸞聖人よ....
「妖怪漫談」より 著者:岡本綺堂
怪談で、かの『捜神記』、『酉陽雑爼』、『宣室志』、『夷堅志』、などの系統である。
室町時代から江戸時代の初期になると、元明の怪談や伝説が輸入されて元の『輟耕録』や....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
平安朝初期の新撰姓氏録上表の文にも、奥州のことを「日出之崖」とある。鎌倉時代から
室町時代にかけて、奥州津軽地方を占領し、北方に雄視した安東氏が日の本将軍と呼ばれ....
「サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
として貴重なる文字だと言わねばならぬ。ここに燕丹とはエタの事である。この説は既に
室町時代に行われたもので、蔭涼軒日録(長享二年八月十一日及び卅一日条)にもその事....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
叙景歌の功績、頓阿の歌、牧渓水墨山水に触れた心 十五 宗良親王、『新葉集』 十六
室町時代に歌は芸術であることをやめ始める、今川了俊、正徹、尭孝、飛鳥井雅世、正徹....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
エタの本来いかなるものなるかは、別項「エタ源流考」に説いておいた。彼らは鎌倉・
室町時代には、キヨメ或いは河原ノ者と呼ばれて、社寺都邑の掃除夫・井戸掘り・駕輿丁....
「エタと非人と普通人」より 著者:喜田貞吉
、別項「エタ源流考」に於いて説いておいた。鎌倉時代にはキヨメをエタと呼んでいた。
室町時代には河原者をエタと呼んでいた。そして「今物語」によると、そのキヨメなるも....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
たことは、大学寮の古図に余戸の一区が画されているのによって察せられる。南北朝から
室町時代の文書にしばしば見えている東寺の散所法師の如きも、またこの類であったらし....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
で書いてある。これが果してエトリの転とのみ解すべきであろうか。 鎌倉・南北朝・
室町時代のエタが、ことごとく屠者でなかったとは言えぬまでも、記録上にあらわれてい....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
示したものである。そしてそのキヨメは実に鎌倉時代においてエタと呼ばれていたのだ。
室町時代文安三年に出来た「※と呼ばれ、
室町時代にはそれを訛って俗間にサンカモノと....