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「宮司〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

宮司の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
新生」より 著者:島崎藤村
には家を忘れて国事に奔走したというし、飛騨《ひだ》の国にある水無《みなし》神社の宮司にもなったというし、それから郷里に退いて晩年を子弟の教育に送ったともいうこと....
思い出の記」より 著者:小泉節子
自分の体が弱くなった事に気がついたりしてから、遺族の事を心配し始めました。大社の宮司は西田さんの知人でありまして、ヘルンの日本好きの事を聞いていますから、大層優....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
十余名が戦死した。季忠は此時二十七歳であったが、信長あわれんでその子孫を熱田の大宮司になしたと云う。前田利家はこの戦以前に信長の怒りにふれている事があったので、....
千曲川のスケッチ」より 著者:島崎藤村
往来するのも見られる。 馬流の近くで、学生のTが私達の一行に加わった。Tの家は宮司で、街道からすこし離れた幽邃な松原湖の畔にある。Tは私達を待受けていたのだ。....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
藩和歌山藩等にお預けの身となったような境涯をも踏んで来ている。今度、賀茂神社の少宮司に任ぜられて、これから西の方へ下る旅の途中にあるという。 半蔵は日ごろの無....
死までを語る」より 著者:直木三十五
郎右衛門という(この人について、御存じの方は御一報願いたい)、後に、石清水八幡の宮司となり、生玉神社にも仕えたが、遂に、浪々の身となって、何ういうのか、父が世話....
梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
修祓、降神行事に次で一同起立裡に直孫牟田口利彦氏の除幕あり、斎主後藤警固神社宮司の祝詞奏上、発起者代表古賀得四郎氏、縁故者牟田口利彦氏、常任理事佐藤文次郎氏....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
ったもので、久しい以前から唯一神道でいて、社は皆|檜皮葺《ひわだぶき》、神官も大宮司と称して位も持っており、その下にも神官が数々居て、いずれも一家を構えて住んで....
山の湯雑記」より 著者:折口信夫
々を歩いて居た訣だが、あの次の六日の日は、羽黒山頂上の斎院で泊った。友人なる山の宮司が肝をいってくれて、夕饗は二の膳に到るまで、一切山の物ばかりであった。其中で....
蛇性の婬 」より 著者:田中貢太郎
絶されん、祖の為子孫の為には、不孝の子一人|惜からじ、明は訴え出でよ」と云って大宮司の許へ訴えさした。大宮司の許へ来て盗人の詮議をしていた助の君文室広之は、武士....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
時代にコマ人が王姓をもらい、これがコマ家の祖先と云われている。コマ村のコマ神社の宮司コマ家に伝わる系図によると、武蔵の国現入間郡コマ村のコマ人はここに移り集って....
」より 著者:佐藤垢石
落ちつきのある親しみ深い空気が流れていた。熊野神社の境内もおごそかである。ここの宮司も、友釣りの大の愛好者で、私の著書の愛読者でもあった。 朝夕の新涼を、肌に....
楠公夫人」より 著者:上村松園
ど、いまここで語っていいものに楠公夫人の像がある。 三年ほど前に神戸湊川神社の宮司が私の宅に見えて、 「楠公夫人の像を描いて奉納してもらいたい」 と言われた....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
は十年を選となす。自今而後外五位資人の選限は、宜しく令によりて之を行ふべし。唯神宮司・禰宜・祝・国造・外散位・郡司及び俘夷の類は此の限にあらず。 とあり。この文....
神仙河野久」より 著者:田中貢太郎
たものでありまして、またこれを証明いたしました太美万彦氏も、今日にては安仁神社の宮司に進みて、現職の人であります故、最も慥かな話ですから、特にこの河野のことをお話しいたしたのであります」....