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宮城県
「宮城県〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
宮城県の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「荒雄川のほとり」より 著者:佐左木俊郎
私の郷里は(
宮城県|玉造《たまつくり》郡|一栗《いちくり》村|上野目天王寺《かみのめてんのう....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
うのも、それがためです。」と、横田君は言いました。「今から七年ほど前のことです。
宮城県の中学の教師が生徒を連れて来たときに、龍馬の池のほとりで写真を撮ってあとで....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
荏原郡品川町南品川百五十九番地に移った。脩が十二月に静岡の渋江塾を閉じた。川田が
宮城県第一中学校長に転じて、静岡中学校の規則が変更せられ、渋江塾は存立の必要なき....
「トカトントン」より 著者:太宰治
た顔をしています。時田花江という名前です。貯金帳にそう書いてあるんです。以前は、
宮城県にいたようで、貯金帳の住所欄には、以前のその
宮城県の住所も書かれていて、そ....
「簡略自伝」より 著者:佐左木俊郎
明治三十三年(1900)
宮城県|岩出山町|在の中農の家に生まる。当時既にこの層の没落は、全農民階級中最も....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
がふっていたことはこれ迄もありませんですもの。 ゆうべは、さち子さんの姉さんが
宮城県から出て来ていて、身の上相談的なことで、かえるのを待っていたものだから、疲....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
いと悲観された。しかしなお断念せずに浅野をこれに向けて見たのであった。 浅野は
宮城県涌谷町の呉服屋の二男であったが、親の反対を押し切って、救世軍に身を投じた青....
「この握りめし」より 著者:岸田国士
増田健次は復員すると間もなく警察官を志願し、今ではもう制服も身についた一人前の駐在さんになつていた。郷里は
宮城県の田舎であるが、両親はもうなく、ずつと年の違う兄が後をついで僅かばかりの土....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
店内へははいらないけど、並べておきたいような市役所でした。むかし、むかし、大昔、
宮城県庁だった建物だとさ。その古物をタダで貰ってきたのだとさ。 塩竈は松島遊覧....
「文学に現れたる東北地方の地方色」より 著者:佐左木俊郎
、それによりますと、聖武天皇の天平二十一年の二月、百済の王敬福という者が、今の、
宮城県遠田郡涌谷村字黄金迫の黄金神社附近から、黄金を獲って朝廷に献じたのが、日本....
「雪代山女魚」より 著者:佐藤垢石
正しくヤマメと言っているけれど、栃木県と群馬県の桐生地方ではヤモと呼び、福島県、
宮城県、北海道などではヤマベと称している。また、ヤモメと言っているところもある。....
「妖怪玄談」より 著者:井上円了
好むや」とたずね、その好める人の指を風呂敷の上に加うるを要す、云云。 このごろ
宮城県|伊具郡川張村、山本氏より寄せられたる報知によるに、該地に行わるるところの....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
至り、もと蝦夷の出身で、勲功によって外従五位下勲六等という位階勲等を賜わり、今の
宮城県栗原郡地方にあった上治郡の大領に任ぜられていた伊治公呰麿というものが、これ....
「食道楽」より 著者:村井弦斎
六分二厘、鉱物質一分一厘四毛あり。 ○ジストマに罹りたる鮒は池沼に棲むもの多し。
宮城県下は殊に多し。 ○ヤマメは地方および川流によりて形も異り味も異ること鮎の如....
「手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
いえばいわゆる「東北六県」を指します。北から数えますと、青森県、岩手県、秋田県、
宮城県、山形県、福島県となります。国の名で申しますと、陸奥、陸中、陸前、羽後、羽....