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宮寺
「宮寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
宮寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
しい。こりゃあ確かに本物だ」 神仏|混淆の時代であるから、この八幡の別当所は大
宮寺という寺であった。半七は別当所へ行って、自分たちの身分を明かして、かの絵馬に....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
日ほど宗教の濁ってしまった時代もめずらしい。」とまた半蔵の声で、「まあ、諸国の神
宮寺なぞをのぞいてごらんなさい。本地垂跡なぞということが唱えられてから、この国の....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
しという、冠者鐘を鋳んと苦辛する状《さま》をいうと、竜王甚だ易《やす》き事とて竜
宮寺に釣るところの鐘を下ろして与う、粟津に帰り一所に掲げ堂を建つ、広江寺これなり....
「八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
でしょうかな」 「さあそれは考えものだ」 「いや全く考えものだ」 「噂によると神
宮寺の巫女が大変怒っているそうですよ」 「あいつらが怒るとちょっと恐い」 「名に....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
しいで気がとりつめ」とか、「この魂が跡を追いかけて引き戻してくる」とか、「東は神
宮寺、西は阿礼《あれ》の社《やしろ》より向うへは通さぬ」とか、髪をふり乱し、五体....
「大和路・信濃路」より 著者:堀辰雄
もい出されがちだった。 ※ 或る秋の日にひとりで心ゆくまで拝してきた中
宮寺《ちゅうぐうじ》の観音像。――その観音像の優しく力づよい美しさについては、い....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
愛宕の市《いち》へ、私のうちの下部《しもべ》は正月の買物に行った。年の市は所々の
宮寺にあったが、愛宕の年の市は芝辺では最も盛んで、藩邸の者もこの市で正月の物を調....
「落ちてゆく世界」より 著者:久坂葉子
ルトの音楽を愛する方でなきゃ……」 私は兄の部屋をあらためてみまわしました。中
宮寺の観音像やモツァルトの肖像の額がかけてあります。その下には、外国の絵の本やカ....
「女大学評論」より 著者:福沢諭吉
む》べからず。歌舞伎小唄浄瑠璃抔の淫《たわれ》たることを見聴《みきく》べからず。
宮寺|抔《など》都《すべ》て人の多く集る所へ四十歳より内は余り行《ゆく》べからず....
「カットの文法」より 著者:中井正一
、これと無関係ではないと思われる。ギリシャにも、エジプトにも、大同の石仏にも、中
宮寺の観音にも一貫した「ほほえみ」があるのがそれである。 私は、三百日の留置場....
「回想録」より 著者:高村光太郎
。寧ろ「こなし」だけで、部分は大して問題にしていない。夢殿の救世観音にしても、中
宮寺の弥勒にしても、よほど「こなし」が良く出来ている。 仏師の出である父は、又....
「美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
寺に安置せられ、世に夢違観音と俗称せられる銅造観世音菩薩立像である。 夢殿、中
宮寺を含む法隆寺一郭の中にわれらの美の淵源とすべき彫刻の充満していることはいうま....
「痀女抄録」より 著者:矢田津世子
先き頃、京阪方面の古刹めぐりから戻られた柳井先生の旅がたりのうちに、大和中
宮寺の「天寿国曼荼羅」のおはなしがあった。わたくしは不幸にして未だに中
宮寺をおと....
「手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
好んで帆立貝を用います。 羽後の国にはたった一ヵ所だけ焼物の窯場があります。神
宮寺という駅から少し南に行ったところに楢岡と呼ぶ村があります。ここにわずか一基の....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
て力を尽されました。別して造塔、起仏に御熱心にて、自ら七寺(四天王寺、法隆寺、中
宮寺、橘寺、蜂丘寺、池後寺、葛城寺)を建立せられた外、諸国にも寺院の配在を奨励せ....