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宮方
「宮方〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
宮方の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「魔法修行者」より 著者:幸田露伴
というものは最も簡単なマジックスクェアーである。それが聖典たる易に関している。九
宮方位の談、八門遁甲の説、三命の占、九星の卜、皆それに続いている。それだけの談さ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
、しかし茶屋酒楼等へひそかに越すことは許されない。夜分の外出は差し留められる事、
宮方へ行き合う節は路傍に控えおるべき事、堂上あるいは諸侯へ行き合う節は双方道の半....
「不尽の高根」より 著者:小島烏水
五合目から、富士に向って、左に路を取り、宝永山の火口壁から、その火口底へ下り、大
宮方面の大森林に入って、大沢の嶮を越え、小御岳へ出るのが順で、始めて「大願成就」....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
は、それを聞いて呆気《あっけ》にとられました。そうすると案内は得意になって、 「
宮方《みやかた》のお役人も、よく話がわかるものですから、直ぐに許してくれます。一....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
いる。この人のあだ名を俗に「村正《むらまさ》」と言っている。士分には相違ないが、
宮方か、江戸かよくわからない。江戸風には相違ないが、さりとて、生《は》え抜きの江....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
である。玉坐は正面の少し高い所に設けられ、卓には錦が掛けてあった。その後ろには、
宮方始め、三条太政大臣、その他の大官が着席して居られた。陛下はまだ三十歳位の御年....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
、公卿化したとはいいながら、将軍およびその臣隷は武人に相違ない。もし承久の事変に
宮方が勝利を得たと仮定しても、それは足利将軍が京都から号令した有様と異ったもので....
「源氏物語」より 著者:紫式部
よく肥って色が白い。大将の幼児時代に思い比べてごらんになっても似ていない。女御の
宮方は皆父帝のほうによく似ておいでになって、王者らしい相貌の気高いところはあるが....
「源氏物語」より 著者:紫式部
あると思っておいでになるふうなのであった。夕霧の大臣も同じように娘たちを御兄弟の
宮方に嫁がせることを世間へはばかっているのであったが、もし懇望されるなら同意をす....
「武蔵野」より 著者:山田美妙
。和主もこれから見参して毎度手柄をあらわしなされよ」 「これからはまた新田の力で
宮方も勢いを増すでおじゃろ。楠や北畠が絶えたは惜しいが、また二方が世に秀れておじ....
「利根の尺鮎」より 著者:佐藤垢石
太郎の激流と深淵の連続である。白井の簗、雛段、樽、天堂、左又、宮田のノドット、竜
宮方面へと釣り上がって行った。 とりわけ、宮田のノドットには大ものがいた。一町....
「赤坂城の謀略」より 著者:国枝史郎
た痕があらわれていた。 (神仏の加護) と正成は思った。 (神の界に属しまつる
宮方に、お味方仕るこの正成に、神仏の加護あるは必定か、それにいたしても忝けなし)....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
城の白壁は、幾羽の鷺が翅をひろげて飛びかうようにも見られた。赤松律師則祐が初めに
宮方となって旗揚げをした時に、この姫山の古城を修理したのであるが、建武中興の後に....
「雷嫌いの話」より 著者:橘外男
も酷い。甲府も酷い。殊に酷いのは、富士山麓地方。 関東では、日光から出て、宇都
宮方面へ流れ出してくる雷雲。負けず劣らず酷いのが、伊香保を中心として榛名をめぐっ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
士どもは、かつての承久ノ乱なるものを、今もなかなか忘れはおるまい。――あの乱で、
宮方へ与した武族は、以後ことごとく、末代まで浮かばれぬ破滅に落ちてしもうた。それ....