家塾[語句情報] » 家塾

「家塾〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

家塾の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
近時政論考」より 著者:陸羯南
の説の多少政論に影響を及ぼしたる者は、あえて収めてもって一政論派の代表者となす。家塾を開きて業を授くる者あるいは必ずしも政論を教ゆるにあらず。しかれどもその門人....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
主|間部下総守|詮勝とから五人扶持ずつの俸を受けていた。しかし躋寿館においても、家塾においても、大抵養子|竹逕が代講をしていたのである。 小島成斎は藩主阿部|....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
て藩校の漢学の指導をせられていた。そうしてこの母人はやはり江戸に残って、そのまま家塾で幼年男女の教授をせられていたのであるそうな。一見してもなかなか気丈な婆さん....
学問の独立」より 著者:福沢諭吉
て政談の主義はかくの如し、これを実際に施したる政府の針路は云々と称すれば、都下の家塾はむろん、地方にも藩立・私立の学校も盛なれば、あるいは林家に従属し、あるいは....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
泊りに行きました。夫人(石川氏)は佐佐木信綱氏の歌のお弟子でした。 西氏が前に家塾育英舍を開かれた時の通規に、「読書はなるたけ黙読せよ。昼日は時ありて朗読すと....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
うは『日本全史』というかなり浩澣な大著述をしたその頃の一と癖ある漢学者高谷龍洲の家塾であって、かなり多数の書生を集めて東京の重なる私塾の一つに数えられていた。大....