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「家士〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

家士の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
蘭学事始」より 著者:菊池寛
座の者にその書状を指し示した。それは、いかにも町奉行|曲淵《まがりぶち》甲斐守の家士、得能万兵衛から、明四日千住骨ヶ原にて、手《しゅ》医師何某が腑分をすることを....
真田幸村」より 著者:菊池寛
間に中ったので、既に落馬せんとして、鞍の前輪に取付き差うつむくところを、忠直卿の家士西尾|仁右衛門が鎗で突いたので、幸村はドウと馬から落ちた。 西尾は、その首....
梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
て只圓と号した。すなわち我が只圓翁であった。 利春(只圓翁)の妻は黒田家播磨殿家士、梅津羽左衛門の娘で弘化三年に縁組したが、元治元年十一月に三十五歳で死別した....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ちに細川三斎の陣を訪れた。 「突然の推参ながら、たって所望の儀は、さいぜん貴公の家士が稀代の名筆を分捕られたそうな、それを一目拝見が致したい」 「容易《たやす》....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
、玄関、客間、寝室、別館、大書院、亭、廻廊、控えの間、宿直の間、廐舎、婢女の間、家士たちの溜り、調理の場所、無数の建物が描かれてあり、そういう建物をグルリと取り....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
の両奉行から城主に出動の命令があった。 大村藩では、家老大村彦右衛門を大将に、家士の全員、諸村の代官所属の全員、小給、足軽、長柄の者は言うまでもなく、領内の土....
三国志」より 著者:吉川英治
訴えてみよう」 ところがその張遼も、病気と称して、面会を避けた。何と訴えても、家士は主人に取次いでくれないのである。 「このうえはぜひもない!」 関羽は、長....
三国志」より 著者:吉川英治
嘘と思し召すならば、街へ人をやってごらんなさい」 呉夫人は、まだ信じない顔で、家士の一名に、城下の見聞をいいつけた。 その者は、街を見て帰ると、すぐ呉夫人の....
私本太平記」より 著者:吉川英治
正は、流罪の地、越後ノ国へ物々しく送られて行った。――もちろん押送使には足利家の家士も加役として交じっている。 一方。 右馬介はといえば、それより一日早く、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
戟して、諸職の振興に一段の戦時景気をよび起していたからだった。 彼が、巡視隊の家士十二人を選んで、そのすべてに白と黄おどしの行装で練り歩いたなども、一端の例と....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ふしぎな御配慮を」 と、あやしんだのみだった。 えらばれた二十名は昨日今日の家士でなく、みなたしかな侍ばかりだったのも、いかに重い使命であったか察しられる。....
私本太平記」より 著者:吉川英治
のようなわけだった。 さきに、足利高氏は、その上方出征の途中、箱根路の山中で、家士二十人を抜擢し、これをひそかに変装させて、元の道へ返している。 質子の千寿....
私本太平記」より 著者:吉川英治
るやいな、勝者と勝者の仲は、また元の水と油の遊離をさっそく見せだしていた。今日の家士同士の喧嘩などは、ほんの一例でしかなく、その確執は、もっと遠い日からの、根元....
私本太平記」より 著者:吉川英治
をよろいにつつむと、かえって、彼本来の面目とおちつきを持ち、そして、頼春や寺中の家士がそれぞれの腹拵えや身仕度をすますあいだ、独りあぐらをくんでゆったりと庭の朝....
黒田如水」より 著者:吉川英治
とお忘れなきように」 と、厳かにいい渡した。 しかし数日のうちに、何十名かの家士が、御着の城からたちまち姿をかくした。みな脱城者であり、みな毛利家の領へ奔っ....