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家持
「家持〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
家持の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「政談月の鏡」より 著者:三遊亭円朝
まいが、是は芝|赤羽根《あかばね》の勝手ヶ原の中根兵藏《なかねひょうぞう》という
家持《いえもち》町人の所へ忍入り家尻《やじり》を切って盗取《ぬすみと》った八百両....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
文久元年十二月二十四日の出来事である。日本橋、通旅籠町《とおりはたごちょう》の
家持ちで、茶と茶道具|一切《いっさい》を商《あきな》っている河内屋十兵衛の店へ、....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
」と、半七老人は説明してくれた。 「各町内に一個所ずつあって、屋敷町にあるのは武
家持ちで辻番といい、商人町《あきんどまち》にあるのは町人持ちで自身番というんです....
「開扉一妖帖」より 著者:泉鏡花
捻り、俳諧を友として、内の控えの、千束の寮にかくれ住んだ。……小遣万端いずれも本
家持の処、小判小粒で仕送るほどの身上でない。……両親がまだ達者で、爺さん、媼さん....
「死者の書」より 著者:折口信夫
、新しい官人の生活に入り立って行った。 ことし、四十を二つ三つ越えたばかりの大伴
家持は、父|旅人の其年頃よりは、もっと優れた男ぶりであった。併し、世の中はもう、....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
。「今年経て来向ふ夏は」「春過ぎて夏来向へば」(巻十九・四一八三・四一八〇)等の
家持の用例があるが、これは人麿の、「時は来向ふ」を学んだものである。人麿以後の万....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
帯を許し、寄宿舎を出て一家を構える。俸給は月々全部を渡し、主人はもう預からない。
家持店員の給与は七十五円ないし二百円であるが、一家を構えてみると今までの寄宿舎生....
「私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
も充分で貯金まで致しますが、妻帯して一家を持ちますとこれでは足りませんから、別に
家持手当として俸給の三割を与え、また子供が生れるとか、老人のある者には別の手当を....
「歌の円寂する時」より 著者:折口信夫
の盛期の大伴旅人・山上憶良あたりにも、既に古典としての待遇を受けている。旅人の子
家持の作物になると、一層古典復活の趣きが著しく見える。其点からも、短歌に於ける抒....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
だ微々たる借家|住居をしているようでは気の毒だ。あの分では何時までたっても自分の
家持ちになることは出来まい。どうかまず
家持ちにして上げたい。何事も居所が確かり定....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
た。私は今日でも、平尾氏の好意は特に恩に思っている次第であります。 それから、
家持ちになれというので、平尾氏から立て代えて頂いた金銭は、技芸員のお手当の金や、....
「青春の息の痕」より 著者:倉田百三
するあいだ私の宅にとどまるのが私の道であろうと思います。それで私は今は東京で姉と
家持ちをすることを考えています。艶子と三人で、郊外に一軒借りて、女中をひとり置い....
「一人舞台」より 著者:ストリンドベリアウグスト
あの事をまだ覚えていて。あの時お前さんがわたしの言った通りにすると、今はちゃんと
家持になっているのね。去年のクリスマスにはあの約束をおしの人の二親のいる、田舎の....
「特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
か、享保十七年に銭座開発の運びになった。かくて寛保二年にはだんだんここに三十軒の
家持ちの存在を見るに至り、延享元年六月十七日の調べに、六条村全体で九百五十九人と....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
浪女の義で、「万葉集」には「遊行女婦」と書いてある。大宰帥大伴旅人や、越中守大伴
家持などと歌の贈答をしたという、名誉の遊行女婦がすでに奈良朝にあった。遊女と云う....