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「家重代〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

家重代の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
籠釣瓶」より 著者:岡本綺堂
一本になってしまった。村正の刀は十年前に或る浪人から百両で買ったもので、持ち主は家重代《いえじゅうだい》だと言った。水も溜まらぬ切れ味というので、籠釣瓶《かごつ....
箕輪心中」より 著者:岡本綺堂
役にも立たない鎧や刀は、五月の節句の飾り具足や菖蒲刀《しょうぶがたな》も同様だ。家重代の宝でもいい値に引き取る者があれば、なんどきでも売り放すぞ」 鎧は面当て....
鳥辺山心中」より 著者:岡本綺堂
、立派な侍が一人の売女に涙をかけて、多寡《たか》が半月やひと月の馴染みのために、家重代《いえじゅうだい》の刀を手放そうなどというのは余りに馬鹿ばかしくも思われた....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
れにしても、高島がお吉に預けて置いた疑問のふた品はなんであろう。 「あれは高島が家重代の宝物でござる」と、梶井は説明した。 豊臣秀吉が朝鮮征伐のみぎりに、高島....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
のではありません。 なにか特別の理由があって、一つの人形を大切にする人、または家重代というようなわけで古い人形を保存する人、一種の骨董趣味で古い人形をあつめる....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
刀であるので、拙者はしきりに欲しくなって、相当の価でゆずり受けたいと懇望したが、家重代の品であるというので断られた。それでもやはり思い切れないので、あくる朝その....
姉川合戦」より 著者:菊池寛
時浅井方の勇将、磯野丹波守の居城であった。信長からの数々の進物に対して、長政は、家重代の石わりと名づけたる備前兼光の太刀を贈った。この浅井家重代の太刀を送ったの....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
と云ったので、軍議は決定して仕舞った。旗とは義光以来相伝の白旗、無楯とは同じく源家重代の鎧八領のうちの一つ、共に武田家の重宝であって、一度、これに誓う時は、何事....
島原の乱」より 著者:菊池寛
日の出立は、紺縅鎧に、金の采配を腰に帯び、白き絹に半月の指物さし、当麻と名づける家重代の長槍を把って居た。城中の兵、眺め見て大将と認め、斬って出る者が多い。小林....
鐘ヶ淵」より 著者:岡本綺堂
冊に歌をかいた。三上はおなじく立ち泳ぎをしながら西瓜と真桑瓜の皮をむいた。福井は家重代の大鎧をきて、兜をかぶって太刀を佩いて泳いだ。それ程の者であるから、近習頭....
番町皿屋敷」より 著者:岡本綺堂
うにいい慰めた。 「はて、くどくど申すな。一度詫びたらそれでよい。まことをいえば家重代の宝、家来があやまって砕く時は、手討にもするが家の掟だが、余人は知らず、そ....
壁の眼の怪」より 著者:江見水蔭
じられて、直芳は恍惚たらずにはいられなくなった。 三 大炊之助は家重代の宝物、及び古文書を出して、勝国手に見せるのであった。いずれも貴重なる参考....
平家蟹」より 著者:岡本綺堂
くしが頻りに止むるもきかず、鎌倉へ忍んでくだりました。 玉虫 むむ、鎌倉へ……。家重代という痣丸の銘刀を身につけて行ったであろうな。 雨月 おおかた左様でござり....
飛騨の怪談」より 著者:岡本綺堂
儘に捨置いた。 斯くて一年ばかりも過ぎると、或夜何者か城内へ忍び入って、朝高が家重代の宝物たる金の兜を盗み去ったのである。無論、其詮議は極めて厳重なものであっ....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
た。これが定家と実朝との関係のはじめである。 二十二歳、建暦三年十一月、定家は家重代の宝であった『万葉集』を献じたので、実朝は非常に喜んで、握玩措かなかったこ....