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宿将
「宿将〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
宿将の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
直接攻勢に出づることは不利である。 節句の祝を終って、信玄諸将と軍議を開いた。
宿将|飯富兵部等、「先年以来未だ一度も手詰の御合戦なし。此度是非とも、御一戦しか....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
り清井田原に本陣を移し、浅木、宮脇、柳田、竹広の線に於て決戦せん」と。信玄以来の
宿将、馬場美濃守信房、内藤修理昌豊、山県三郎兵衛|昌景等は、これを不可であるとし....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
清洲会議之事 天正十年六月十八日、尾州|清洲の植原次郎右衛門が大広間に於て、織田家の
宿将相集り、主家の跡目に就いて、大評定を開いた。これが有名な清洲会議である。 ....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
条方では、此の間どうして居たか。 天正十八年正月二十日に、氏政、氏直父子は一門
宿将を小田原に招集して、評議をやって居る。初めは三島から黄瀬川附近まで進撃し、遠....
「運命」より 著者:幸田露伴
、或は陝西に、或は蜀に、旗幟の向う所、毎に功を成す。特に洪武の末に至っては、元勲
宿将多く凋落せるを以て、炳文は朝廷の重んずるところたり。今大兵を率いて北伐す、時....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
に心をきめました。 道の順から福井の名所の第一は、もとの北の庄の城跡、織田氏の
宿将柴田勝家がこれに拠《よ》って、ここで亡びたところ、その名残りのあとを見ると、....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
に実例を挙げて数えてみることもできるのではありませんか。甚《はなはだ》しいのは、
宿将勇士たちを朝鮮征伐にやったそのあとで、いちいち留守の奥方を呼び入れて閨《ねや....
「三国志」より 著者:吉川英治
って向ってくる。 ――その時、将台の上に立って、軍の大勢をながめていた袁紹方の
宿将|審配は、いま曹軍の陣から、約三千ずつ二手にわかれて、味方の側面から挟撃して....
「三国志」より 著者:吉川英治
呉下の智能はほとんど一堂に集まったといっていい。 張昭、張絋、周瑜、魯粛などの
宿将をはじめとして、 彭城の曼才、会稽の徳潤、沛県の敬文、汝南の徳枢、呉郡の休....
「三国志」より 著者:吉川英治
むけて、荊州をこっちへ収めてしまおうと考えるが、各※の所存はどうか」 すると、
宿将|張昭が、 「まだ、まだ」と、独り頭を振っていた。 孫権がみとめて、 「昭....
「三国志」より 著者:吉川英治
て、何しろ糜芳は、蜀のうちでも余人とちがい、玄徳が微賤をもって旗上げした頃からの
宿将だ。俺の舌三寸でおめおめ降るわけはないし」 と、困惑を訴えると、虞翻はその....
「三国志」より 著者:吉川英治
の装備を新たにして、天水郡へ進発した。 それよりも前に、天水郡の太守|馬遵は、
宿将重臣を集めて、隣郡の救援について、議するところがあった。 主記の梁虔がその....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
ぐ急がれい」 すると陶義近が、憤然と命を拒んだ。 「何をいうかご家老。われわれ
宿将たちが、散々に主君のお側を離れてよいものか、われらは城門と君側を固く守る。姫....