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「宿禰〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

宿禰の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
家光公の寛永年間は、そのかみ垂仁《すいにん》天皇の七年に、はじめて野見《のみの》宿禰《すくね》と当麻《たいまの》蹴速《けはや》とがこの国技を用いて以来、古今を通....
死者の書」より 著者:折口信夫
うした風儀になって行く世間を、呪いやめなかった。 手近いところで言うても、大伴|宿禰にせよ。藤原|朝臣にせよ。そう謂う妻どいの式はなくて、数十代宮廷をめぐって、....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
遠いので、差向き真淵訓に従った。真淵は、「円(圓)」を「国(國)」だとし、古兄※宿禰に伝へられき。其後多く年経て此訓をなして、山城の稲荷山の荷田の家に問に、全く....
水の女」より 著者:折口信夫
大嘗の中臣天神寿詞は、飲食の料としてばかり、天つ水の由来を説いているが、日のみ子宿禰が天神寿詞を奏したと伝えている。貴種の出現は、出産も、登極も一つであった。産....
安吾武者修業」より 著者:坂口安吾
信じられ、実用されていた時代も確かにあったに相違ない。 たとえば神功皇后や竹内宿禰なぞの時代、犯人を探すにクガタチと称し熱湯に手を入れさせ、犯人なら手が焼けた....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
を認めることにすると、書紀に於いて蘇我氏が素性のない成り上り者ではなくて、建内|宿禰という怪人物の子孫に表現されているということには、いろいろと意味がありそうだ....
なよたけ」より 著者:加藤道夫
綾麻呂から五位の位を奪いとった我等が仇敵は? 文麻呂 (凜たる声)大納言、大伴ノ宿禰御行! 綾麻呂 巧みなる贈賄行為で人々を手馴ずけ、無実の中傷で蔵人所の官を奪....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
えみし」の語はすでに神武天皇御製と称する歌詞の中に見え、東夷の称は景行天皇朝武内宿禰復命の文中に出づるなり。しかしてそのこれを「えびす」と呼ぶは、単に、「えみし....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
ねばならぬ理由はない。大伴大連室屋の子|談が夷種の軍隊たる佐伯部の長となり、佐伯宿禰の家を起したからとてあえて不思議はないのである。しかしながら平安朝において夷....
炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
る姓氏を名乗り、それが奏任官以上ともなれば、鹿爪らしく何の朝臣だの、何の連だの、宿禰の、真人の、県主のと、それぞれ昔の貴族豪族の姓を名乗っていた時代が近く五十年....
間人考」より 著者:喜田貞吉
あるに従うべきものであろう。) 間人という姓は新撰姓氏録に、 左京皇別上 間人宿禰 仲哀天皇皇子誉屋別命之後也。 山城国皇別 間人造 間人宿禰同祖誉屋別命之後....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
ます。 普通に歴史の示すところによりますと、むかし景行天皇の御代に当って、武内宿禰が勅を奉じて東国を巡察致しまして、蝦夷という変った民族の住んでいたことを復命....
古事記」より 著者:太安万侶
歳、御陵は片岡の馬坂《うまさか》の上にあります。 孝元天皇 ――タケシウチの宿禰の諸子をあげているのは豪族の祖先だからである。―― オホヤマトネコ彦ク....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
想から、特に賤視せられたものであろうと思われる。顕宗天皇元年六月、狭々城山君韓※宿禰、天皇の御父市辺押磐皇子殺害の罪に連坐して、特に死一等を許され、陵戸にあてて....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
霊異記』をみても、その実例のはなはだ少からぬに驚かざるをえぬ。孝謙天皇の朝に犬養宿禰真老という人が、自度の沙弥の乞食を撃って悪死の報いを得たとか、聖武天皇の御代....