富本[語句情報] » 富本

「富本〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

富本の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
きまして真景累が淵、前回よりは十九年経ちましてのお話に相成りますが、根津七軒町の富本《とみもと》の師匠|豐志賀《とよしが》は、年卅九歳で、誠に堅い師匠でございま....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
して、初代の清元延寿太夫も堀江町の和国橋の際で、駕籠の外から突かれて死にました。富本をぬけて一派を樹てたくらいの人ですから、誰かの妬みだろうという噂もありました....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
富五郎は八丁堀に鰻屋をしていたこともありました。その頃は遊芸が流行で、その中にも富本全盛時代で、江戸市中一般にこれが大流行で、富五郎もその道にはなかなか堪能であ....
」より 著者:太宰治
ございます。 「わしという万年白歯を餌にして、この百万の身代ができたのじゃぞえ」富本でこなれた渋い声で御生前よくこう言い言いして居られましたから、いずれこれには....
明治大正美人追憶」より 著者:長谷川時雨
えん》な美女に転化している。和歌よりは俳句をよろこび、川柳《せんりゅう》になり、富本《とみもと》から新内節《しんないぶし》になった。その末期《まつご》は、一層ヒ....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
のだった。譜本をだして父に説明していた、父は月琴をとって器用に弾いた。子供のおり富本《とみもと》を習った母よりも長唄《ながうた》をしこんでもらっている私たちの方....
前記天満焼」より 著者:国枝史郎
毫会」という結社には、日本人も会員に加わってい、乞食の上州と宣った人物も(本名は富本雄之進とのこと)鮫島大学も会員であって、支那とそうして日本との間を密行してい....
大橋須磨子」より 著者:長谷川時雨
くるものが、妙にわたしの胸を一ぱいにさせるのであった。 長唄《ながうた》でも、富本《とみもと》でも、清元《きよもと》でも、常磐津《ときわず》でも、おしかさんは....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
しかし、私は声を出して歌を唄う方のことは、親から厳しく止められている。これは例の富本一件で、腹に滲み込んでいることであるから、声の方の芸事は問題ではないが、声を....
回想録」より 著者:高村光太郎
私の曾祖父にあたる人は、嘉永にはならぬ位の徳川末期の時分で、丁度その当時流行した富本節が非常に巧く、美声で評判になったものらしい。それで妬まれて水銀を呑まされた....
美術学校時代」より 著者:高村光太郎
いたので、僕は小学校の時代から唱歌もやらないで通した。それは僕の曾祖父に当る人が富本の名人であったが、何か悪い人の為に毒薬を飲まされ、全身がふらふらになり、祖父....
乳を刺す」より 著者:邦枝完二
。ちょいと困ったことがあっての」 「あたしゃ、そんなことは知りませんけれど。……富本のお稽古に通ってた時分、御師匠さんとこへ来る羽織衆が、そんな話をしていたこと....
随筆 寄席風俗」より 著者:正岡容
さんが結構でしたが、志ん生になって死んだ馬生(金原亭・六代目)もよかった。のども富本のやれる人で渋かったが、あの歌い調子で「三人旅」など、 ※別れてそののちた....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
下《くだ》つて清長の肉付よき実感的なる美人の浴後裸体図等に至つては漫《そぞろ》に富本《とみもと》の曲調を忍ばしむる処あり。更に下つて歌麿豊国に至るやその正確にし....
握り寿司の名人」より 著者:北大路魯山人
を例に、私の趣味に合格する店は二、三軒であろう。その一軒に近ごろ立ち上がった「新富本店」および終戦後ただちに店開きした「新富支店」がある。この本店はその昔、意気....