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「富田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

富田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
っていまして、筋違から和泉橋《いずみばし》のあたりは市橋|壱岐守《いきのかみ》と富田|帯刀《たてわき》の屋敷の者が刈りに来ていたんですが、そのあいだには例の清水....
茶の本」より 著者:岡倉覚三
七 馥柯羅摩訶秩多――維摩経ではこの典拠不明。維摩居士のことか。 二八 利休が「富田左近へ露地のしつらい教うるとて」示したものは「樫の葉のもみじぬからにちりつも....
猿飛佐助」より 著者:織田作之助
の昼食を、奈良から一足飛びに飛んだ京の都、今出川畔、当時洛中に噂の高い、その名も富田無敵という男の道場で、したためた。 晩飯は同じく四条、元室町出仕の吉岡憲法....
灰燼十万巻」より 著者:内田魯庵
書類が堆かく一山になっていた。 『何時ごろ?』『四時半ごろ。』『火許は何処?』『富田のアイロン場。』――と、誰が誰に話すのか解らぬが其処此処で聞えた。中には百遍....
歌行灯」より 著者:泉鏡花
員弁、阿下岐をかけて、大垣街道。岐阜へ出たら飛騨越で、北国筋へも廻ろうかしら、と富田近所を三日稼いで、桑名へ来たのが昨日だった。 その今夜はどうだ。不思議な人....
南地心中」より 著者:泉鏡花
坐組む気で、杯しなはれ。私かて、丸官はんの傍に居るのやない、この一月は籍のある、富田屋の以前の芸妓、そのつもりで酌をするのえ。 仮祝言や、儀式も作法も預かるよ....
星女郎」より 著者:泉鏡花
いが、この駅を越すと竹の橋――源平盛衰記に==源氏の一手は樋口兼光大将にて、笠野富田を打廻り、竹の橋の搦手にこそ向いけれ==とある、ちょうど峠の真下の里で。倶利....
明治十年前後」より 著者:淡島寒月
『都の花』があった。その他|硯友社一派の『文庫』が出ていた。 劇評では六二連の富田砂燕という人がいた。この人の前には梅素玄魚という人がいた。後にこの人は楽屋白....
光は影を」より 著者:岸田国士
てあつた。 別宅というのは、この辺によくある別荘風の構えで、門柱には、たゞ、「富田」という標札が出してあるきりで、浜田の説明によると、たぶん妾宅の一つだろうと....
新しき世界の為めの新しき芸術」より 著者:大杉栄
。中村星湖君はそれを「から出た」即ちフランス語の de part と解釈した。又富田砕花君は「の所有する」即ち of と解釈しているらしい。しかしこれは、甞つて....
役者の一生」より 著者:折口信夫
。その近所で、露地があちこちにあって、芸人の住いがあった。今も宗右衛門町にある、富田屋のお勇が生んだのだ、というのは確かだ相である。島の内船場の大檀那の生ませた....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
・大西屋庄左衛門の三人が、皮田村改めに摂津国へ下った時の調査報告に、島下郡では西富田・岸部・吹田の穢多村と共に、「宿河原家数廿軒計、二人歩、組頭喜左衛門・甚兵衛....
鳩つかひ」より 著者:大倉燁子
は眉を顰めながら首肯いて、 「困った事ながら事実です――一ヶ月ほど前有名な実業家富田氏が、高価なダイヤを求めた数日後、同様の方法で脅迫されました。氏は警察の保護....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
はシュクであり、エタであったのである。出雲において尼子経久が、エタの軍勢を催して富田城を恢復した事が、「陰徳太平記」などに見えているが、ここにエタとは、すなわち....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
夫と宛名してあるという(「山荘太夫考」)。沼田頼輔君から教えられた見聞録所収。須富田村足田七五三太夫所蔵文書には、「山崎の算所」というのもあり、算所の役務及び取....