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「寒村〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

寒村の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
城のある町にて」より 著者:梶井基次郎
くなって、峻は一度その北|牟婁《ムロ》の家へ行ったことがあった。そこは山のなかの寒村で、村は百姓と木樵《きこり》で、養蚕《ようさん》などもしていた。冬になると家....
本州横断 癇癪徒歩旅行」より 著者:押川春浪
な懸声《かけごえ》をしながら漸《ようや》く河を渡り、やがて町付《まちつき》という寒村に来掛かれば、もう時刻は正午に近い。 「アア腹が減った。腹が減った」という声....
追憶」より 著者:芥川竜之介
はなかった。僕はやはり西川といっしょに中里介山氏の「大菩薩峠」に近い丹波山という寒村に泊まり、一等三十五銭という宿賃を払ったのを覚えている。しかしその宿は清潔で....
自叙伝」より 著者:大杉栄
まるで暖簾と腕押しをしているのだな。」 当時ほとんど一人のようになっていた荒畑寒村と僕とが、よく慨き合った言葉だった。 かくして、もう何もかも失ったような僕....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
で、人々も同じ涙にくれ、爾来ここを呼んで指月ヶ岡と云うことになったとか。蕭条たる寒村の秋のゆうべ、不幸なる我が子の墓前に立って、一代の女将軍が月下に泣いた姿を想....
革鞄の怪」より 著者:泉鏡花
八 「年は三十七です。私は逓信省に勤めた小官吏です。この度飛騨の国の山中、一小寒村の郵便局に電信の技手となって赴任する第一の午前。」 と俯向いて探って、鉄縁....
」より 著者:池谷信三郎
でしまったのです。男は無限の憂愁と誠意を黒い衣に包んで、その氷河の尽きる山の麓の寒村に、小屋を立てて、一生をそこで暮したということです。氷河は一日三尺くらいの速....
獄中消息」より 著者:大杉栄
僕もあの文典だけは終った。来週から先日差入れの本にとりかかる。 幽月はいよいよ寒村と断って、公然秋水と一緒になったよし。僕はあの寒村のことだから煩悶をしなけれ....
雪女」より 著者:岡本綺堂
堡子とかいうのはどんなところか知らない。しかし、それがいわゆる雲朔に近い荒涼たる寒村であることは容易に想像される。堀部君は商会の用向きで、遼陽の支店を出発して、....
秋の修善寺」より 著者:岡本綺堂
で、人々も同じ涙にくれ、爾来ここを呼んで指月ヶ岡ということになったとか。蕭条たる寒村の秋のゆうべ、不幸なる我子の墓前に立って、一代の女将軍が月下に泣いた姿を想い....
贋物」より 著者:葛西善蔵
った。国道沿いながら大きな山の蔭になっていて、戸数の百もあろうかというまったくの寒村であった。 かなり長い急な山裾の切通し坂をぐるりと廻って上りきった突端に、....
西航日録」より 著者:井上円了
にて、したがって豪商紳士多く集まり、バルレー村のごときは、山間の渓流にそいたる一寒村に過ぎざるも、水力を応用して製毛の一大工場を開き、毎日七百名以上の職工これに....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
の下に当時の燭台があり、天・人・造化に対する心を照らしたのであろう。) その地寒村にして、四隣みな農家なり。ロンドンより往復汽車二百十一マイル、馬車十二マイル....
私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
は鮎の産地として名高い。私はその揖保川の堤から二、三町ばかり行った百戸ばかりの一寒村で、農業を営む長谷川家の三男坊として生まれた。戸籍では明治十五年十月三日生ま....
塩鮭・塩鱒の茶漬け」より 著者:北大路魯山人
見みすぼらしい板のようになった薄っぺらなほうが茶漬けには適する。これらはいかなる寒村僻地にも行き渡っている品で、一尾百円か、大きくても二百円くらいのものであろう....