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「寓居〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

寓居の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
武蔵野」より 著者:国木田独歩
ろう。 六 今より三年前の夏のことであった。自分はある友と市中の寓居《ぐうきょ》を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、そこで下りて北へ真直《まっ....
義血侠血」より 著者:泉鏡花
弥は、ついに幽明を隔てて、永《なが》く恩人と相見るべからざるを憂いて、宣告の夕べ寓居《ぐうきょ》の二階に自殺してけり。 (明治二十七年十一月一日―三十日「読売新聞」)....
後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
ものであります。その年に私の娘のルツ子が生まれ、私は彼女を彼女の母とともに京都の寓居に残して箱根へ来て講演したのであります。その娘はすでに世を去り、またこの講演....
白蟻」より 著者:小栗虫太郎
装幀をもってせられたことに、感謝しておきたいと思う。 一九三五年四月 世田ヶ谷の寓居にて 著者 序、騎西一家の流刑地 秩父《ちちぶ》町から志賀坂峠を越えて、上....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
鼠はみな散りぢりに立ち去った。 陳巌の妻 舞陽の人、陳巌という者が東呉に寓居していた。唐の景龍の末年に、かれは孝廉にあげられて都へゆく途中、渭南の道で一....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
そうです。 鬼兄弟 軍将の陳守規は何かの連坐で信州へ流されて、その官舎に寓居することになりました。この官舎は昔から凶宅と呼ばれていましたが、陳が来ると直....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
にした。 世の怪談にはこの類が少なくない。 術くらべ 鼎州の開元寺には寓居の客が多かった。ある夏の日に、その客の五、六人が寺の門前に出ていると、ひとり....
世界怪談名作集」より 著者:岡本綺堂
にとっては甚だ愉快な場所で、やや無遠慮ではあるが、まことに居心地のよい接待ぶりの寓居であった。庭には綺麗に刈り込んだ芝原と、塔のように突っ立った槲や楡の木があっ....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
すと、晴れた朝空に鳶が翼をひろげて、大きく輪を描いて、笛を吹いている。 鶴見が寓居のすぐ奥の隣家には海軍の尉官が住っていた。子供が二人ある。よしという若い女中....
猫と村正」より 著者:小酒井不木
車の響に眠気を催すのであるが、今夜はなかなか眠られそうになかった。後には、牛込の寓居に残して来た妻子のことや、半分なげやりにして来た会社の仕事のことなどが思い出....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
」といわれて殿内に入ってしまわれた。ちょうどその夕暮私はブッダ・バッザラ師と共に寓居に帰りました。 私はその寓居に止って居る間にネパール国誌ようなものを作って....
西航日録」より 著者:井上円了
見ることを得ず。実に大国の地勢なり。カルカッタ着後、哲学館出身者大宮孝潤氏をその寓居にたずね、当夕ここに一泊す。氏は久しくインドにありて、多年サンスクリットを研....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
ありという。秋洲船医およびウィルキンソン氏の紹介により、フィッツロイ公園の傍らに寓居を定む。メルボルンの気候はシドニーよりいくぶんか冷気の加わりたるがごときも、....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
せぬ良民であった。彼らは各地に分散定住していたのみならず、京都の大きな官署内にも寓居して、雑工・駆使・掃除等に従事していたことは、大学寮の古図に余戸の一区が画さ....
編輯雑感」より 著者:喜田貞吉
たのは、確か明治四十二年の事であったと記憶する。当時自分は京都の縄手三条下る処に寓居しておった。したがってその付近にある旧悲田院の部落や、旧エタの頭村と言われた....