寛保[語句情報] »
寛保
「寛保〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
寛保の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
辛未閏二月十四日」とあるのも、並に皆允成の女である。その二には「至善院格誠日在、
寛保二年|壬戌七月二日」と一行に彫り、それと並べて「終事院菊晩日栄、嘉永七年|甲....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
兵助。 これを見て、がんりきの百の野郎が、手を拍《う》って嬉しがりました。 「
寛保二年、閏《うるう》十月の饑饉《ききん》、武州川越、奥貫《おくぬき》五平治、施....
「浅間山麓」より 著者:若杉鳥子
した額が、城門の上にかかっていた。その前に立札があって、「元和元年仙石秀久築城、
寛保二年大水のため流失す、再び明和二年、牧野康満によって改築さる云々」と書いてあ....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
ざえもん》、大棟梁《だいとうりょう》平内《ひらうち》七|郎右衛門《ろうえもん》、
寛保三年、同四年、奉行《ぶぎょう》曾我日向守《そがひゅうがのかみ》、お畳奉行《た....
「鐘ヶ淵」より 著者:岡本綺堂
てていたということであるが、大原家の記録によると、木母寺を弘福寺に換えられたのは
寛保二年のことであるというから、この話の享保時代にはまだ木母寺が将軍の休息所にな....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
に種子食用の西瓜がつくられていると聞いたことがあった。 ギョリュウ 日本へ昔|
寛保《かんぽ》年中に中国から渡って植えてある※柳《テイリュウ》、すなわちギョリュ....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
はんが》は元禄《げんろく》享保《きょうほう》の丹絵《たんえ》漆絵《うるしえ》より
寛保《かんぽう》宝暦《ほうれき》の紅絵《べにえ》となり、明和《めいわ》年間に及び....
「狐」より 著者:岡本かの子
非有想非無想処――大智度論 時は
寛保二年頃。 この作中に出る人々の名は学者上りの若い浪人鈴懸紋弥。地方藩出の青年....
「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
さて今日から
寛保年間にございました金森家の仇討のお話で、ちとお話にしては堅くるしゅうございま....
「特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
しかもその後懇願遂に功を奏したものか、享保十七年に銭座開発の運びになった。かくて
寛保二年にはだんだんここに三十軒の家持ちの存在を見るに至り、延享元年六月十七日の....