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寛平
「寛平〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
寛平の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
二十一年正月八日。昼夜|炬燎、砂礫如。 貞観六年五月二十五日。大火山其勢甚|熾。
寛平七年十一月。神火埋。 長保元年三月七日。富士山|焚。 長元五年十二月十六日。....
「旅愁」より 著者:横光利一
は記念のために、先夜読んだ藤原基経に関する史書の頁の部分へその手紙を挟んだ。
「
寛平三年正月十三日、藤原基経歿す」
とその頁には忌日もあった、新暦なら季節も丁....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
例せば蜂蟻)は君主制ゆえ平等政治の民が上等だといい得るを忘れた論じゃ。竜樹菩薩は
寛平中藤原|佐世《すけよ》撰『日本国現在書目録』に、『竜樹菩薩和香方』一巻と出で....
「雪の宿り」より 著者:神西清
、成恩寺殿(同|経嗣)の荒暦六合、そのほか江次第二合、延喜式、日本紀、文徳実録、
寛平御記各一合、小右記六合などの恙なかったことは、不幸中の幸いとも申せるでござい....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
アケビと※ 人皇五十九代|宇多《うだ》天皇の御宇、それは今から一一〇五年の昔|
寛平《かんぴょう》四年(892)に僧|昌住《しょうじゅう》の作った我国開闢以来最....
「日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
たが、もっと重大な原因は、隋、唐と国交を重ぬること推古天皇様十五年より宇多天皇様
寛平六年|迄二百八十八年に及びこの長い間に支那大陸の文化の尽くを日本は摂取し、最....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
それをもっと端的に「詞は古きをしたひ、心は新しきを求め、及ばぬ高き姿をねがひて、
寛平以往の歌にならはば自づからよろしき事もなどか侍らざらむ」ともいっている。第三....